水分過剰の危険性
ひと頃、1日に水を2リットル飲むという「健康法」が流行した時期があります。
人間の約60%は水分だから積極的に水分を摂ろうとか、老廃物が流れてデトックスになるとか言われていました。
テレビ番組で取り上げられた頃は、これを信じて水を多飲する人が続出しました。
私にも「本当は辛くて嫌だけど、健康のために飲んでいる」という女性の知人がいました。
こんな「健康法」は本末転倒です。
今でも時々、この情報の残滓のようなものを耳にすることがあります。
水は不足しても危険ですが、過剰でも危険になります。

東洋医学には「水毒」という概念があります。
体内の余分な水分を上手く排泄できず、これが滞ると様々な不調を生じることは、古くから知られていました。
水毒の主な症状には、倦怠感、むくみ、慢性的な冷え、めまい、胃腸の不調などがあります。
もし水は良いもの、いくら飲んでもよいと思っているなら、その認識は改めた方がよいでしょう。
水は確かに必要不可欠ですが、当然ながら適量でなければなりません。
恐るべきニュース
水分過剰に関して、個人的に忘れられないニュースが二つあります。
一つは、タイ陸軍における後輩イジメで、バケツ何杯分もの大量の水を無理やり飲ませた事件です。
この後輩は、意識障害を起こして救急搬送された後、病院で死亡しました。「地上で溺死」というのが、当時の私にはショックでした。
もう一つは、米国のラジオ番組で、水をどれだけ飲めるかを競う企画があり、その参加者が激しい頭痛や嘔吐、意識障害を起こして死亡したという事件です。
結果的には「自〇レース」だった訳であり、これもまた当時の私には驚愕でした。
これらはさすがに極端な例ですが、水分過剰にはそれだけ恐ろしい面があります。
体液は薄い塩水
人間の体は、確かに水分が約60%ですが、真水ではなく「薄い塩水」でできています。
ナトリウム以外にも、カリウム、マグネシウム、カルシウムなどのミネラルを含みますが、イメージとしては塩水のようなものです。
生理用食塩水という言葉を聞いたことがあるでしょう。濃度0.9%の塩化ナトリウム水溶液です。
これが人間の体液と同じ塩分濃度であり、細胞が膨らみにくく、縮みにくく、また刺激も少ないため、何かと人体と相性がよいと言われます。
たとえば、目や鼻に真水が入ると痛く感じますが、生理用食塩水だと痛く感じません。
目薬や鼻うがい用の水溶液は、痛みを感じないように、この塩分濃度と同程度の浸透圧に調整されています。
真水の場合、細胞内に水分が入って膨張するため、ツーンとしたり、しみたりして痛みを感じます。
涙を舐めたことがある人は、涙がしょっぱいということをご存知でしょう。体液は薄い塩水に近いのです。

また、料理において、塩味は食材の量の0.9%前後が、最も美味しく感じると言われます。
このため、プロの料理人は必ず計量する人が多いです。料理の腕前は、火入れと塩味で大部分が決まるからです。
計量しない人も、膨大な反復経験から、適量を明確に把握しています。
料理番組などでも必ず計量しますが、あれは番組用の演出ではなく、料理人の日常的な工程なのです。
不思議に思えますが、人体はどうやら、体液に合う濃度の塩味を「美味しい」と感じるようです。
逆に、まずいと感じるものは、体液に合っておらず、体が拒否しているのでしょう。

「生命は海から誕生した」と言われても、今ひとつピンと来ないかもしれませんが、「お母さんの羊水も塩水だ」と言えばどうでしょうか。
私たちは胎児の頃から、塩水の環境で育っています。真水より塩水の方が、遥かに近しい存在なのです。
水分過剰と塩分脱水に注意
水だけを大量に入れるという行為は、体液を薄めることでもあります。
そして、度を超えて体液を薄めてしまうと、低ナトリウム血症になります。
倦怠感、疲労感、頭痛、集中できない、吐き気、めまい、筋肉の異常、血圧低下など、諸々の症状が出てきます。
重度になると錯乱、けいれん、意識障害などにつながる危険な状態です。
低ナトリウム血症は、水だけを大量に飲んだ場合に生じますが、現実的により注意したいのは、いわゆる「塩分脱水」です。
つまり、炎天下、激しい運動、マラソン、長時間の肉体労働、サウナなどによって大量発汗し、水分と塩分を同時に失った後に、水だけを補給した場合です。
この場合も、体液が異常に薄まり、細胞がバランスを崩して、低ナトリウム血症を生じます。

私たちの多くは、脱水と言うと「水分脱水」を想定して、水を飲もうとしますが、実際にありがちなのは、もう一つの脱水である「塩分脱水」の方です。
こちらは水分脱水に比べると、それほど強く意識されていないことから、隠れ脱水と呼ばれることもあります。
塩分脱水に関する知識がないと、症状を起こした時に水分脱水と誤解して、焦って多量の水を飲んで、逆に悪化させてしまう危険があります。
これはスポーツやサウナなどの現場で、実際に多発していることです。
言うまでもありませんが、水分過剰と塩分脱水が重なるのは最悪です。
健康のためと誤解して、大量の水を飲んでいる人が、炎天下・運動・サウナなどで大量に汗をかいた時は、非常に危ないと言えます。
塩分脱水を防ぐ、または治すためには、塩分を補給する必要があります。
たとえば味噌汁のような、塩気のある汁物が最良ですが、食事を摂る元気があれば、食事をすることでも解決できます。
料理には必ず水分と塩分が含まれているからです。
水分・塩分・糖分を含むスポーツドリンクでもよいでしょう。ただし、スポーツドリンクは糖質が多い点に注意してください。
なお、水分の過剰摂取は、消化器にも影響します。
食中・食後に多量の水分を摂ると、胃酸が薄まって消化力が下がることがあり、胃もたれや未消化の問題が生じやすくなります。
体にはこれを調整して、正常を維持する機能がありますが、避けるに越したことはありません。
また、水分の処理は腎臓が行いますから、多飲すると腎臓に負荷をかけます。
健常者であれば、大きな不都合はないかもしれませんが、高齢者や腎機能が低下している人は注意したいところです。
尿量を心配する必要はない
尿がよく出ると、人によっては出した分を補充しなければと思いがちですが、それを過度に気にする必要はありません。
私たちの体は、必要な量を排泄しているだけです。
時には、飲んだ以上の量の尿が出たと感じることがあるかもしれませんが、それは次の理由による誤解です。
食事に含まれる水分
食事には多量の水分が含まれています。それは味噌汁などの汁物に限りません。
食物は、もし水分を一切含んでいなければ、粉物のように非常にパサつくか、硬くて食べられないかのどちらかです。
口に入れて「美味しい」と感じるような瑞々しい食物は、多くの水分を含んでいます。

日本人の主食であるお米で考えると、分かりやすいでしょう。
お米は、乾いた米に水を加えて、それを加熱することで炊飯します。ご飯1椀を食べれば、それと同量くらいの水分を摂ることになります。
肉や豆なども、水分を一切含んでいなければ、とても食べられたものではありません。
1日に2リットルの水を飲むことを勧める主張は、元々は「食べ物に含まれる水分を含めて2リットルが目安」だったとも言われます。
これが曲解されて、「水だけを2リットル飲め」という珍説が一人歩きしたようです。
ブドウ糖の分解による水分
人間はブドウ糖を主なエネルギー源として活動しますが、このブドウ糖を分解する時にも水分が生じます。
ブドウ糖のグルコース(C6H12O6)と、呼吸で取り入れた酸素(O2×6個)が反応すると、二酸化炭素(CO2×6個)と水(H2O×6個)になります。
そして、二酸化炭素は呼気として排泄され、水分は尿として排泄されます。
人間は生きているだけで、継続的に二酸化炭素と水分を発生させているのです。

以上のように、私たちは複数経路で摂取した水分の一部、適量だけを排泄しているのであり、尿量を心配して過剰に水分を摂る必要はありません。
無理に多飲しない
人間に必要な水分には個人差があります。
たとえば、体重50kgの人と90kgの人では必要量が違いますので、これを無視して一律に2リットルというのは、その時点でけっこう乱暴な話です。
水は喉が渇いた時に、それを潤す程度に飲めば十分です。
年齢を重ねると、徐々に渇きに対して鈍感になっていきますので、こまめに少しずつ含む習慣を持つのはよいと思います。
いずれにしても、辛さを感じてまで、無理に多飲する必要はありませんし、そんなことをしてはいけません。
ただし、たとえば下痢の場合など、体が毒素を除去するために、排泄活動を一時的に強めている時は、水分不足にならないように注意してください。
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