健康に生きた人間しか、健康に死ねない 人生を変えた言葉

健康に生きた人間しか ブログ

好きなことをするため

 皆様は何のために、健康に気をつけていますか?

 これに関する答えは、人それぞれでしょう。

 実業家の成毛眞氏(元日本マイクロソフト社長)は、健康に投資するのは「好きなことをするため」と言い切っています。個人的にはかなり好きな意見です。

 人生は幸福になるためにあるのであり、そのためには健康な体で、好きなことができなければなりません。

 たとえお金があっても、健康を損なっていて、好きなことがろくにできなければ、人生の価値は半減してしまいます。

健康に死ぬため

 成毛氏の主張には大賛成なのですが、もう一つ大事にしている言葉があります。

 それは、健康に投資するのは「健康に死ぬため」というものです。

 私は20代の頃、健康管理が疎かだったことで、毎年のように風邪を引いたり、熱を出したりしていました。

 当時はハードワークでしたので、これはいけないと思って健康について学び始め、そのまま健康オタクになって、現在に至っています。

 多くの先生方の著作を読む中で、一つ確信したことがあります。

 それは「健康に生きた人間しか、健康に死ねない」ということです。

 これは医学的な見解というより、人生訓に近いのかもしれませんが、不摂生を重ねた人は、一般的には病気や要介護状態で、晩年に苦しむ確率が高いというのは確かな傾向です。

 健康寿命という言葉がありますが、たとえ寿命が長くても、寝たきりや要介護の期間が長ければ、その晩年は幸福とは言えません。

どの母集団に属したいか

 私たちはつい、ぽっくりとラクに逝くことを期待してしまいますが、その可能性が高いのは基本的に、健康に生きた人だけであることを忘れがちです。

 目の前の享楽に溺れて、不摂生を尽くした人は、晩年にそのしっぺ返しを食らいかねません。

 これは確率論なので、絶対ではないのですが、リスクの高い母集団に属してしまうことは避けられないのです。

 よく「お爺ちゃんはヘビースモーカーだったけど、90歳まで生きた」などと言う人がいますが、これは例外的な個別事例であり、統計上は外れ値になります。

 ヘビースモーカーの母集団全体としては、リスクの高い方へ移動してしまうのですから、稀な個別事例にすがるべきではありません。

 誰しもそうでしょうが、私も穏やかな晩年を過ごして、ラクに逝きたいと願っています。そのために、健康に投資しておくのです。

 晩年と最期に備えるだけでは、人生は面白くありませんが、しかし前述の「好きなことをするため」でもありますので、結局は幸福につながる大きな要素だと思います。

死は怖くないが苦が怖い

 明治期の俳人である正岡子規は、若い頃から病弱で、肺結核と脊椎カリエスで苦しみ抜きました。

 彼は「死は怖くないが、苦が怖い」という言葉を残しています。

 彼自身も辛い闘病生活でしたが、その家族の人生もまた狂いました。

 私たちは本能的に死を怖れますが、よく考えるとそれほど心配する必要はないのかもしれません。

 なぜなら、死とは眠りに落ちて翌朝に目覚めないこと、すなわち「永眠」であり、もし健康に死ねるとしたら、眠るのと同じようなことだからです。

 私たちにとって、翌朝に目覚めるのは当然のことですが、これを「夜にいったん死んで、朝によみがえる」と捉える人もいます。

 このループが、いつか途切れる日が来て、それが永眠なのであれば、確かに怖がることはありません。いつものように眠るだけなのですから。

 ただし、このハッピーエンドには重要な前提があります。

 それは「苦が伴わない限り」ということです。

 正岡子規の言葉は、まさに正鵠を射ています。「死は怖くないが、苦が怖い」のです。

 晩年に苦を伴わないためには、どうすればよいでしょうか。

 それは健康投資をして、健やかに生きるしかありません。健康に生きた人間しか、健康に死ねないのです。

因果関係が分かりにくい

 よく言われるように、悪い生活習慣(食生活の乱れ・喫煙・飲酒・運動不足・肥満・睡眠不足など)は、病気のリスクを高めます。

 がん・心筋梗塞・脳卒中・糖尿病・認知症・慢性腎臓病などの発症率が上がるのですから、確率論でこれが当たってしまった場合は、苦しい晩年を過ごすことになります。

 これ自体は、ほとんどの人が知っている情報でしょう。

 それにも関わらず、なぜ悪い生活習慣を続けてしまうのでしょうか。

 もちろん「目の前の享楽をつい選んでしまう」というのが大きいのですが、私が自戒したいのは次の二点です。

 一つは、原因と結果の間に月単位、年単位の差があるので、因果関係に対する意識が疎かになりがちなこと。

 もう一つは、絶対ではなく、飽くまで確率論であるため、生活習慣が悪くても助かってしまう人もいれば、生活習慣が良くても発病する人もいることです。

 こうした分かりにくさゆえに、リスクを認識できていなかったり、「まぁ大丈夫だろう」と警戒が緩んでしまったりするのですから、ここは忘れないようにと常々注意しています。

 私たちが健康投資に努力しても、その果実は「リスクの低い母集団に属する」ことまでです。

 絶対には予防できないのが残念ですが、それでもやる価値は十分ありますし、これ以外の手段は基本的にありません。

 夢のような再生医療が、現実化する日でも来れば別ですが。

健康寿命

 老年学では、寿命そのものより、「健康寿命」が重要とされています。

 健康寿命とは、要介護や寝たきりにならず、自立して生活できる期間を指します。

 たとえば、Aさんは75歳で突然、心筋梗塞になって、その数時間後に死亡したとしましょう。

 一方、Bさんは65歳で脳卒中になり、20年間の寝たきり生活を過ごした後、85歳で死亡したとしましょう。

 この場合、寿命だけを見るとBさんの方が長生きですが、本人の苦痛や生活の質を考えると、必ずしも幸福とは言えません。

 おそらく私のように、Aさんの方がよいと思う方が多いでしょう。老衰がベストではありますが。

 その願いを叶えるためには、なるべく健康的に生きて「リスクの低い母集団に属する」しかありません。

 絶対の保証はありませんが、確率優位にはできます。

 私は父が認知症になってしまい、大変な介護期間を経験しました。

 父の人生はもちろん、母と私の人生も強い影響を受けました。生活が破綻しかけた時期もあります。

 そうしたリアルを痛感しているので、この点にはとりわけ強い注意を向けています。

圧縮された罹病期間

 老年学には、「圧縮された罹病期間」という考え方があります。

 健康な人は元気な期間が長く、病気になっても比較的、要介護や重度障害の期間が短くなる傾向があります。

 一方、不健康な人は早く病気になり、長期間苦しんだ後に亡くなる傾向があります。

 これを図にすると、次のようなイメージです。寿命は同じだと仮定します。

 健康な人
 □□□□□□□□■ 元気な期間(□)が長く、病気の期間(■)が短い。
 不健康な人
 □□□□■■■■■ 病気の期間(■)が長い。

 この考え方によれば、健康に生きることは「病気の期間を圧縮する」ことになります。

 健康寿命を延ばそうという主張は、元気な期間を増やすことを推奨するものですから、言っていること自体はほぼ同じでしょう。

 元気な期間を延ばそう。病気の期間を減らそう。そのために、若い頃から健康に投資して、リスクの低い母集団に属しよう。

 要約すれば、こういう結論になります。

 苦の確率を減らせば、死は怖くなくなります。

 そのことが自分の晩年と、家族の人生を穏やかにしてくれるのです。
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