私は15歳で学問を志し、30歳で一人前になった。40歳になって生き方に迷うことがなくなり、50歳で自分の天命を知った。
60歳で人の話を素直に聞けるようになり、70歳になってようやく、何をしても道を外すことがなくなった。
自分がこうと決めた本物の志は、誰も奪うことができない。もし奪われるとしたら、それは志と言えるものではない。
本筋を離れて、目新しいこと、偏ったことを学ぶのは、弊害があるばかりだ。
知っていることを、知っているとし、知らないことを、知らないとする。これが「知る」ということ。

君子は、いかに徳を修めるかと考えるが、小人は、自分の利益ばかりを追う。
君子は、いつでも責任を取る覚悟で生きているが、小人は、いつも責任から逃げることを考えている。
名馬は、その脚力だけで褒められるのではない。調教や学習によって得た、名馬としての徳を褒められるのだ。人間も同じであろう。
過ちを犯して、その過ちに気づいたのに、これを改めないことが、本当の過ちである。
他人が、自分のことを正しく評価してくれないと嘆く前に、自分が他人を正しく評価せよ。

守るべき決まりは、基本的に「道徳」によるべきである。法律、規則、命令だけに頼ってはいけない。
人として、為さねばならぬ正しいことが分かっているのに、それをやらないのは、勇気がないということ。
私の行動は、すべて天が見ている。もし私が良くないことをすれば、天は私を見捨てるだろう。
よく考える人とは、二度考える人のこと。三度考えると考え過ぎである。
知るだけでは、好きに及ばない。好きだけでは、楽しむに及ばない。

自分がして欲しくないことは、相手にしないようにすること。
自分に地位がないと嘆くのではなく、地位に就く実力を得ることに努めよ。
自分を認めてくれる人がいないと嘆くのではなく、認められるだけのことをしようと心掛けなさい。
君子は、人の美点を認め、その成功を願って協力する。
小人は、これと反対で、人の欠点ばかりを見て、その成功を妨げようとする。
親孝行の第一は、健康であること。親は何よりも、子供の体のことを心配している。
両親の年齢と誕生日は、覚えておかなければならない。一つは、その長寿を喜ぶために。もう一つは、老い先を気遣って孝行するために。

君子は、人とよく協力するが、群れることはない。小人は、すぐに群れるが、ここぞという時に協力しない。
すべての人が善いという人は、善くない人である。
その土地の、善い人達が「善い」と言い、悪い人達が「悪い」という人間が、本物の善い人である。
愛のないものは、すべてにおいて中味がない。
多くの者は、本当に力がない訳ではなく、力尽きた訳でもないのに、自ら自分の力を見限ってやめてしまう。
どこまでも自分の力を信じて、進んでみることだ。
人生はまず志だ。大きな志を持ち、世の中のためになる、本物の人物を目指しなさい。
名利を追う小さな人間になるようでは情けない。

過ぎることもなく、及ばないこともなく、どちらにも偏らず、いつまでも変わらないという中庸の徳は、至上、至極のものである。
勉強し、力を付けているのは何のためか。世の中の役に立つためではないのか。好機を掴んで、世に出ようではないか。
君子たらんとする者に三つの戒めがある。
青年期は情が激しくなりやすい。男女関係に注意する必要がある。
壮年期は血気が強く、盛んである。いたずらに他と争って、闘わないように戒めなさい。
老年期は血気が衰えてしまう。財欲のみが強くなってしまうことを戒めなさい。
貧乏だろうが富貴だろうが、自分の正しい生き方を求めて、進んで行くことを楽しみたい。これこそが切磋琢磨というもの。

すべては、昼もなく夜もなく過ぎ去って行く。その中にあって、我々はどう生きるのか。
いつも徳を修めることに打ち込みたい。それしか正しい生き方はない。
君子は、時に目指している仁の道に外れることがあるが、反省して正しい道に戻って来る。
しかし小人は、自分の利益にしか関心がないため、時に仁の道に至ることなどあり得ない。
君子は、正しい道がよく分かる。小人は、自分の利になることがよく分かる。
大多数の人が良く言おうが、悪く言おうが、必ず自分の目で調べなさい。
これから先、どう生きるかを考える時、人は歴史を学ぶべきだ。これまでの歴史を見れば、人にとって何が大事かが見えてくるもの。

人と約束した言葉は、それが道理に合う正しいことであれば、守ってきちんと実践すべきだ。
逆に、道理に反すると気づいたなら、約束した相手にもしっかり伝え、止めるように努めるべきだ。
この世においては、何事も「真・善・美」を目指さなければならない。
君子は、自分の言葉について、決していい加減であってはならない。
昔の立派な人が、軽々しく言葉を口にしなかったのは、実践が伴わないことを恥じたからである。
やるべき我が道が分かったのなら、すぐに動いて、その道に従おう。目の前の利益より、将来の世のため、人のためである。

どのような運命であろうが、死を迎えるまで、人として学び続ける立派な人でありたい。
知者は、人としてやるべきことをやり、神や霊を敬うが、これを利用したり、深入りしたりはしない。
仁者は、困難なことから先に取り組み、利益や報酬のことは後回しにする。
若い時は、まず仕事を一人前にできるようにする必要がある。
そうして生活を安定させ、社会の仕組みと人付き合いをよく学び、徳のある人に師事するようにしたい。
以上ができて、自立できる程になれば、後は自分の好きなことに手を出して、人生を楽しめばよい。

人は、信用があって、初めて何事かができる。
信用は、車と牛馬を繋ぐものと同じで、これがないと車も引きようがない。
たとえ物事を誰よりも理解していると思っても、謙虚な姿勢で、先輩に尋ねることも大切だ。これも礼の一つと言える。
幾ら権力者に目をかけられ、高い地位や報酬で誘われても、権力者に義がないと見れば、これを断る。
それも一つの立派な生き方、義を通す生き方ではないか。
既に辞職して、現在その地位にいないのであれば、その地位に伴う仕事に口を出すべきではない。
利益は追ってよいが、世に役立つ仕事の結果でなければならない。
利益は仁の心、すなわち正しい道に従って得なければならない。

目前の小さな利益に惑わされては、大事は成し遂げられない。
君子は、ゆったりと落ち着いていて、人に威張ることがない。
小人はすぐに威張り、穏やかに落ち着くことがない。
君子は、すべてについて自分の責任を問うが、小人は、すべての責任を他人に押し付ける。
人には、それぞれの能力がある。問題は、上に立つ者が、それらを適材適所に使うことができるかだ。
私は、持てるものは全部出して教え、隠すことや、出し惜しみなどはしない。常に全力で教える。
人と上手く付き合う人は、相手の良いところを見ている。
君子は、自分に誇りを持って生きるが、他人と無闇に争ったりしない。
人と親しく付き合うが、群れて派閥を作ることはない。

自分の利益だけを考えて行動する者は、人から恨みを買うことも多い点に、注意しなければならない。
贅沢し過ぎる人は、傲慢になりがちである。倹約し過ぎる人は、頑固になりがちである。
どちらも良くないが、傲慢よりは頑固の方がマシだろう。
慎み深いのはよいが、礼に適っていないと臆病に見える。
勇気があるのはよいが、そこに礼がなければ、乱暴なだけである。
正直なのはよいが、礼を失すれば、人に対して冷酷になり得る。
教養や品性のない小人は、扱いにくい。
近づけて可愛がると図に乗るし、無視して遠ざけると恨まれる。



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