ハリスの両替詐欺? (2) 万延小判 深刻なインフレ

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銀が足りない

 金銀比価に歪みがあるまま、条約を締結して開国すれば、金が大量流出するであろうことを、幕府は交渉時から理解していました。

 そのため急いで対策をとり、歪みを修正するのですが、その副作用は甚大なものでした。

 理想的な対策は、一分銀の銀含有量を増やして、洋銀(メキシコ銀)と同量にすることです。

 こうすれば、「洋銀1ドルに対して、一分銀1枚」の交換比率になります。

 しかし、それを実現するだけの銀や財政余力が、当時の幕府にはありませんでした。だからこそ、一分銀を導入したという経緯があります。

 その上、この時期は外国の両替商が、あり得ないほど魅力的な「魔法の両替」に殺到しています。

 一分銀の両替要求は、1日あたり16,000枚にも及んだとされます。これでは到底、銀が足りません。

 現在であれば、輪転機を回して紙幣を印刷するだけですが、銀貨は実物から鋳造する必要があります。

新銀貨は失敗に終わる

 そこで、幕府は「安政二朱銀」という新しい銀貨を発行して、金銀比価の歪みを是正しようと試みます。

 安政二朱銀は、貿易を主目的とした銀貨であり、洋銀と一分銀の間に挟んで、クッションにすることを想定しました。

 つまり、国際的には洋銀と安政二朱銀を「1:1」で交換し、国内的には安政二朱銀と天保一分銀を「1:1」で交換する扱いにしようとしたのです。

 これは確かに、理論上は金の流出を止められるはずでしたが、残念ながら普及しませんでした。

 ハリスらの外国人領事が「条約違反である」と強く抗議したからです。

 外国からすれば、この扱いを認めた場合、「洋銀→安政二朱銀→天保一分銀」と交換を重ねた時に、銀含有量が約1/3になってしまいます。

 国内的には幕府が額面価値を保証し、民衆がそれを信用する限り、問題が顕在化しませんが、国際的には通用しませんでした。

 このため安政二朱銀は、わずか22日で運用が中止されることになります。

 幕府は、一分銀の額面と銀含有量の差に悶え苦しみます。江戸時代に行ったファイナンスのツケが、一気に回って来たような状態でした。

禁断の万延小判

 追い詰められた幕府は、禁断の一手に出ます。

 天保小判の量目を30%以下に落とした「万延小判」を、新しく発行したのです。

 銀を強くする手段が失敗したので、今度は逆に金を弱くする手段で、金銀比価の歪みを修正しようとしたわけです。

 その結果、確かに歪みは修正されましたが、代わりに激しいインフレ(物価上昇)が発生しました。

 お金の価値が30%以下になれば、物の価値には強い上昇圧力がかかります。

 これによって、それまでは一部の港で起きていた騒動が、民衆の生活に波及していくことになります。

 もちろん幕府は、正式貨幣である金の価値を、大幅に切り下げることの危険性を理解していました。

 だからこそ、小判の信用を厳格に守り続けて、ファイナンスが必要になれば、補助通貨の銀を工夫して凌いできたのです。

 しかし、幕末の混乱で世が乱れる中、切迫した金流出が続いており、これ以外の選択肢がなかったのでしょう。

 運の悪いことに、安政期は事件が重なります。安政大地震が発生したり、安政の大獄が起きたりと、あまりにも過酷な状況が続きました。

深刻なインフレ

 2026年現在の日本は、わずか数年前に比べて、生活物価が30~50%ほど上がってしまいました。

 特にお米の値段は、一時は2倍を超えて大騒ぎになりました。「令和の米騒動」と言われたほどです。

 しかし、幕末に起きた深刻なインフレは、そんな生易しいものではありません。

 歴史家の研究によれば、1859年(開港直前)から1867年(倒幕直前)までの間に、生活に直結する品目が次の通り暴騰したと言います。

米   約3~5倍
味噌  約2~4倍
醤油  約2~4倍
薪・炭 約3~5倍
塩   約2~3倍
木綿  約2~4倍
酒   約2~4倍
魚類  約2~5倍
豆腐  約2~4倍

 当時は全国統一の物価統計が存在しないため、正確な数字は分かりません。

 上記は、江戸や大坂などの記録から分かる傾向でしかありませんが、民衆の生活を直撃したことは間違いないでしょう。

 地域によっては、これより酷い値上がりだったという記録もあります。

 庶民にとって、主食であるお米は食卓の中心です。

 また、薪・炭は炊事や暖房に欠かせない燃料であり、現代で言えばガスや電気に相当します。

 経済と生活の混乱ぶりは、想像に難くありません。幕末において激動だったのは、政治だけではないのです。

武士は悲惨だった

 最も打撃を受けたのは、固定収入で生活する武士でした。

 石高に応じた俸禄を受け取る武士は、額面はそのままである一方、物価だけが数倍増したからです。

 現代で言えば、実質賃金が激減した状態です。

 生活水準がいきなり約1/3に落ちたのですから、これは深刻な問題でした。

 物の生産・流通に携わる人々、つまり農民・商人・職人らの一部は、まだ影響を軽減することができましたが、武士の多くは困窮することになります。

 借金まみれの武士、内職する武士、妻が機織りをする武士などが続出しました。

 社会や幕府に対する不安・不満が、大きなうねりとして渦巻いていきます。

不満が渦巻く

 幕末と言えば、黒船来航が転換点として有名ですが、当時の庶民にとっては、深刻なインフレによる生活苦の方が、遥かに影響が大きかったと言えます。

 現在の日本も激動の中にありますが、大衆はそこまで強い政治的関心がありません。

 社会・経済が悪くなっているという、漠とした認識や不満はあるものの、政治動向を詳しく追跡したり、自ら政治活動を行う人は少数派です。

 幕末の志士というのは、今で言えば政治に対する関心が強い、やや特殊な活動家のような存在でした。

 私たちは幕末史を見る時に、つい大名・要人・志士らを中心に追ってしまいますが、当時の大衆はそうした動向には疎く、ただ物価上昇と生活苦に喘いでいた人が多かったようです。

 1860年代には、各地で打ちこわしや一揆が頻発して、幕府への不満が急速に高まりました。

 政治的な倒幕運動だけでなく、この深刻なインフレもまた、徳川幕府の崩壊を後押しした大きな要因の一つになります。

その時、日本人は踊った

 政治・経済・社会の混乱が極まった時、実におもしろい現象が起きます。

 それは「ええじゃないか運動」です。

 これは慶応3年(1867年)8月~12月にかけて、近畿・四国・東海地方などで発生した熱狂的な踊りのムーブメントでした。

 民衆は仮装して通りをねり歩き、「ええじゃないか!ええじゃないか!」と連呼して踊り狂いました。

 社会は乱れていて事件だらけ。物価上昇が酷くて、日々の生活もままならない。

 そんな状況で、何がいいのかさっぱり分かりませんが、実に日本人らしい一面が出ており、私は大好きなエピソードの一つです。

 これが外国だったら、同じような状況になった時に、強盗・強姦・破壊・放火などが、続発しても不思議ありません。

 そうした混乱が社会機能を麻痺させて、最終的には暴力革命に帰結する例は、世界史では多くあります。

 しかし、平和的なわが日本民族は、なんと熱狂的に踊ったのです。

 もちろん、前述の通り打ちこわしや一揆は頻発しましたが、諸外国に比べれば、随分と穏やかな国民性だと言えます。

 世直しを求める囃子(はやし)言葉が歌われたため、幕府に対する不満を込めていた面はありますが、それでも暴力的でなかった点は、いかにも日本人らしいでしょう。

 なお、ええじゃないか運動は、王政復古の大号令の時期に重なること、並びに「近い将来に慶事がある」と盛んに噂したことから、薩長側が仕掛けた運動ではないかとする説もあります。

ハリスとは何だったのか

 ここまで見てきた通り、タウンゼント・ハリスが日本の金流出に関与したのは事実ですが、それが彼の悪事や策謀かと言えば、そうではありません。

 徳川幕府が蓄積してきた歪みが、開国と同時に顕在化したというのが、問題の本質と言えます。

 もう少し時間をかけて、段階を踏んで徐々に開国し、ソフトランディングできなかったのかと歯痒く思うこともありますが、当時の優秀な責任者たちが、おそらく死力を尽くした結果なのでしょう。

 当時の高級官僚は、武士道(公利公益)を叩き込まれている、日本のために命を賭した侍です。現代とは似ても似つかない高潔さがあったはずです。

 その彼らですら、時代の濁流に飲み込まれ、未知だった国際慣習をいいように利用されて、翻弄されることになりました。

 後世の私たちが、後知恵で安易に批判するのはフェアではありません。

 ハリスの評価には、賛否が分かれています。

 彼は恫喝することなく、公正な態度で交渉に臨んだと擁護する人もいれば、不平等条約を押し付けたり、金の大量流出を招いたことを厳しく批判する人もいます。

 しかし、彼はおそらく善玉でも悪玉でもなく、ただ「アメリカの利益を追求した外交官」だったのだと思います。

 今と同じで「アメリカ・ファースト」であり、それは外交官としては当然の姿勢です。

結果は似たようなもの

 仮にハリスがいなかったとしても、欧州列強の似たような存在が、似たような結果を生んでいたことでしょう。

 欧米に絡まれた時点で、不幸は決まっていたとも言えます。

 実際、日本とタイを除くアジア諸国は、すべて欧米の植民地にされて、塗炭の苦しみを味わうことになります。

 ハリス個人は、日本と日本人を高く評価しています。

 いわく「喜望峰以東の最も優れた民族」であり、「日本の国民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえすれば、日本は遠からずして偉大な、強力な国家となるであろう」と。

 歪んだ金銀の交換レートを利用して、私腹を肥やしたちゃっかりさはありますが、当時の世界情勢や欧米の悪辣さに照らせば、比較的まともな外交官だったのかもしれません。

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