乃木希典は本当に無能だった? (2) 旅順要塞 203高地

乃木希典 (2) ブログ

プレヴェン要塞との比較

 旅順の比較対象となり得るものは、セヴァストポリほどではないですが、実はほかにもあります。

 それは露土戦争で重要な戦いとなったプレヴェン要塞です。

 規模としては、セヴァストポリの半分程度ながら、これもまた貴重な事例になります。

 旅順とプレヴェンを比較してみましょう。

 セヴァストポリが近代要塞の原型とすれば、プレヴェンは近代要塞の発展型でした。

 完成型である旅順には遠く及びませんが、特筆すべきは「塹壕」が積極利用されたことです。

 塹壕は、地下に掘った巨大な穴(通路)で、兵士を地下に隠す、土を防御壁にする、地下の道路網にするなど、多様な役割がありました。

 塹壕に入ってしまえば、頭だけを出して射撃できますので、狙われる面積が激減します。

 地面は最高の防弾材であり、ある程度の厚みがあれば、木材や煉瓦のように弾丸が貫通することがありません。

 また、砲弾は爆発すると破片が飛び散るので、非常に殺傷機能が高いのですが、塹壕の中に入っていれば、危険な爆風や破片が直撃しません。

 塹壕は前線であると同時に、移動や連絡の通路であり、補給網でもあります。

 戦国時代でいうところの曲輪(くるわ)的な設備を、地下に工作したと考えれば、イメージしやすいかもしれません。

 この戦いで塹壕の有効性が確認された後、鉄条網と有刺鉄線を組み合わせた強化版が、旅順で登場することになります。

損害はやはり異常に大きい

 露土両軍の被害は、やはり甚大でした。

 近代要塞戦は、それまでの戦いに比べて、異常に損耗が大きくなります。

 主力火器は後装ライフル銃であり、前装・ライフルなしが中心だったセヴァストポリより進化しています。

 機関銃が本格運用された旅順に比べれば、随分と格下に思えてしまいますが、この段階でも既に歩兵突撃は困難でした。

 ロシア・ルーマニア連合による正面強襲は何度も失敗し、結局は兵站遮断が決め手となって陥落することになります。

 ロシアは、セヴァストポリでは防御側、プレヴェンでは攻撃側として当事者になりました。

 当時、世界で最も近代要塞戦の実戦ノウハウを持っていたことになります。

 旅順における第三軍の不運の一つは、包囲持久戦を選択できなかったことにあります。

 ロシアのバルチック艦隊が到着するまでに、強襲で落とさなければならないという、残酷な制約がありました。

 その上、完成された近代要塞の攻撃・防御性能は、セヴァストポリやプレヴェンのそれに比べて、格段に優れていました。

 おまけに、現場指揮官は名将コンドラチェンコだったのですから、もし乃木希典を責めるとしたら、有能か無能かというより、外れくじの引きっぷりではないでしょうか。

 困難を引き受けて勝利を収め、戦後は何ひとつ言い訳せず、兵の供養と戦傷者の支援を行い、最期は明治天皇の崩御に殉じました。

 ご子息二人も、日露戦争で亡くしています。

近代要塞戦の教訓

 旅順という近代要塞の完成型の攻略を通じて、世界が知ったのは次のことです。

・損害が異常に大きい。
・歩兵突撃は極めて分が悪い。
・近代要塞を強襲攻略し得るとしたら重砲である。

 つまり、旅順攻囲戦というのは、乃木希典が特に過ちを犯したというより、近代要塞の完成型を攻略することがいかに困難かを、世界に示した戦いなのです。

 第三軍は、史上例のない現実に直面し、苦しみ抜きながらも適応して、約5カ月でこれを突破しました。

 確かに被害は甚大ですし、後から振り返れば「もっと上手くやれなかったのか」と思うことはあるでしょうが、たとえばセヴァストポリの指導部に比べれば、遥かに優秀だったのではないでしょうか。

リエージュ要塞

 日本が大量の血を流して得た近代要塞戦の教訓から、最も得をした国の一つはドイツです。

 旅順攻囲戦を分析したドイツ軍は、歩兵突撃が通用しないこと、及び強襲の決め手が重砲であることを理解し、これを10年後のベルギー侵攻に適用しました。

 1914年、第一次世界大戦が勃発した時、ドイツ軍は「シュリーフェン計画」に則って、ベルギーのリエージュ要塞を攻囲します。

 リエージュは強力な近代要塞でしたが、ドイツ軍が投入した超重砲「ディッケ・ベルタ(42センチ砲)」の前になす術なく、10日ほどで陥落しました。

 その後に続く、要塞化されたアントウェルペンの攻囲も同様であり、12日ほどで陥落します。

 防御を固めていたはずのベルギーは、瞬く間に占領されてしまったのです。

ヴェルダン要塞地帯

 しかし、これで近代要塞戦が陳腐化したのかと言えば、話はそう簡単ではありません。

 確かに、単独または少数の要塞は、超重砲で陥落しやすくなりましたが、広範囲に要塞群を構築した「要塞地帯」の場合は、なお泥沼の戦いが続くことになります。

 これが現実化したのが、第一次世界大戦の代名詞とも言えるヴェルダン要塞戦で、約300日間にわたる激戦を通じて、両軍合わせてなんと約70万人もの死傷者を出しました。

 歴史上、最も残酷な消耗戦の一つと言われます。

 ヴェルダン地帯は、単独または少数の要塞ではなく、要塞群・塹壕・砲台・機関銃陣地・トーチカ・鉄道網などを組み合わせた、広範な巨大防御システムだったのです。

 超重砲がいかに強力とはいえ、それを設置するのは最前線でビルを建築するようなものですから、そう簡単に設置・移動・撤去はできません。

 高価な特殊大型兵器なので、大量生産することもできません。

 近代要塞戦がほぼ陳腐化して、異常な損害が収まるまでには、航空機を含む機械化戦力の発展を待つことになります。

中立宣言の意味はない

 ドイツ軍がベルギーに侵攻したと、当然のように書きましたが、当時のベルギーは永世中立国です。

 1830年にベルギーが独立した時、欧州諸国はロンドン条約を締結して、ベルギーの永世中立を保証しました。

 プロイセン(後のドイツ帝国)も、この条約に参加しています。

 それにも関わらず、1914年にドイツは、中立だったベルギーに侵攻しました。

 これはロシアとフランスの二正面を避けるために、まず全力でフランスを潰すという「シュリーフェン計画」を実行するためです。

 フランスとの国境地帯は、当然ながら重厚な防御線が構築されています。

 そのため、先にベルギーを占領して、そこからフランスに侵攻しようと狙ったのでした。

 ドイツは一応ベルギーに事前通告して、軍を通過させるように要求しましたが、ベルギーがこれを断ったので、計画通り侵攻したわけです。

 平和ぼけした日本は、「中立」というと、どちらの味方にも付かない、戦争より平和を選ぶと誤解している人が一部にいますが、現実世界の中立とは、両方の陣営から攻撃される可能性がある、言葉の響きとは裏腹にリスキーな状態なのです。

 本当に中立でいたければ、どちらの攻撃も跳ね返せる「重武装中立」でなければなりません。

 ちなみに、江戸時代の徳川幕府は、海という天然障壁があったとは言え、中期あたりまではこれを実現していました。

 ベルギーはこうした現実を理解しており、だからこそ防御を固めていたのですが、中立宣言は簡単に踏みにじられ、頼りの要塞は超重砲で破壊されました。

兵器開発が加速した

 近代要塞戦が垂れ流した甚大な被害は、それを攻略するための兵器開発を加速させました。

 こんなことを繰り返していたら、各国の若い男たちが次々と消えてしまう、という危機感があったのでしょう。

超重砲

 まずは、要塞強襲の主役である「超重砲」です。

 その代表はドイツ軍のディッケ・ベルタ(42センチ砲)であり、永久要塞と呼ばれた施設を、わずか数日で粉砕しました。

 重量はなんと約42.6トン。砲弾だけで800kgを超えます。

 超重砲は、進化した要塞を粉砕するために開発された、まさに近代要塞戦に特化した兵器でした。

 このため、機械化戦力の発展によって近代要塞が陳腐化していくと、それに伴って超重砲の存在感も徐々に薄れていきます。

 一時は、超重砲を更に巨大化した「列車砲」という兵器まで開発されました。

 こちらは80センチ砲という異常さ。もはや大砲というより、移動式要塞のような存在です。

 ゲームの世界に登場しそうな超兵器ですが、現実にもあったのです。

戦車

 次に、機関銃を弾き返し、塹壕・鉄条網・有刺鉄線を突破するための「戦車」です。

 戦車というと、榴弾をぶっ放すイメージがあるかもしれませんが、元々は堅い装甲で機関銃の掃射に耐え、鉄条網と有刺鉄線をなぎ倒すために導入されました。

 幅の狭い塹壕であれば、キャタピラで乗り越えることもできます。

 超重砲のように、要塞を破壊する攻撃力はありませんが、要塞の前面に展開された防御設備を蹂躙することができます。

 日本の第三軍を散々に苦しめた「塹壕・鉄条網・有刺鉄線」の防御セットは、戦車で突破されることになりました。

 猛烈な銃弾が降り注ぐ中、人間が工具を使って突破するのは、あまりに多くの命が失われるので、「動く鉄の塊」が登場したというわけです。

 その後、戦車・歩兵・砲兵などの諸兵科を組み合わせて、互いの弱点をカバーし合う「機甲師団」が、新しい主役の一つになっていきます。

航空機

 やがて、戦争のあり様を変える「航空機」が登場します。

 航空機というと、戦闘機や爆撃機をイメージしがちですが、それらが活躍するのは第二次世界大戦です。

 最初は「偵察」が主な役割でした。

 しかし、この偵察が重要であり、今までは最前線しか見えなかった敵の、後方の状況を把握できるようになります。

 これによって、座標の特定、弾道の計算が可能になり、大砲を撃ち込むことができました。

 航空機の登場と進化により、最前線の後ろにリーチできるようになった結果、要塞は突破・制圧する対象から、孤立させる対象に変わっていきます。

 機械化戦力の充実に伴って、近代要塞の重要性は徐々に低下していき、爆撃機が投入されて空から攻撃できるようになると、ようやく陳腐化することになりました。

 その後は、機甲師団と航空機を主役とする、次世代のフェイズに入っていくことになります。

短期間に咲いた仇花

 こうして見ると、近代要塞が猛威を振るったのは、わずか数十年の間のことです。

 その完成型に限って言えば、日露戦争の旅順に始まり、第一次世界大戦のヴェルダン地帯で極まったので、実際に多大な損害を生んだのは、10年そこそこでしかありません。

 第三軍は近代要塞の完成型に、初めて挑むことになりましたが、その時点における軍事常識が通じず、甚大な被害を生じました。

 旅順が参考事例になったこともあり、ドイツ軍の近代要塞攻略は、当初こそ円滑に進みましたが、広範に要塞化されたヴェルダン地帯では、旅順より遥かに酷い泥沼に陥りました。

 目を覆うばかりの惨状だったので、それを解決するための兵器開発が急ピッチで進みます。

 その結果として、近代要塞が猛威を振るう期間は短くなりました。

 あまりに凶悪だったことから、その対策も早まったのです。

 乃木希典と第三軍の不運は、この恐るべき近代要塞と、悪条件の中で遭遇したことではないかと思います。

 そして、比較事例が少ないため、適切に相対化されることもなく、犠牲者の絶対数だけが注目されて、悪評を得てしまったのではないでしょうか。

 旅順攻囲戦は、短期間に咲いた仇花だったのです。

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