語源であそぼう 中国編 (2)

語源 中国 (2) その他

小説

 古代中国には、稗官(はいかん)という役割があり、民衆の噂や伝承を集めて報告していました。

 つまり、民間の生の声を収集する情報官です。

 当時の中国では、経(儒教経典)や、史(歴史)に重きが置かれており、噂話・昔話は価値が低いとみなされていました。

 小説は長らく、正式な学問ではない、取るに足らない小話という意味でした。

 ここにnovelの意味合い、つまり現代のような物語性が加わるのは、日本の明治時代のことです。

 英語を訳す際に適当な単語が必要となり、坪内逍遥らの文学者が、近代文学の訳語として「小説」を当てたのです。

 元々は、民間由来の雑多な話を収集・整理することを指しましたが、これによって途中から、物語を創作するという意味になりました。

大三元

 麻雀の役満として有名な大三元ですが、これは科挙に由来する単語です。

 科挙の最高位の試験は、次のように大きく三段階に分かれていました。

・郷試 地方試験
・会試 中央試験
・殿試 最終試験

 この3つの試験を、すべてを1位で合格することを連中三元、あるいは単に三元と呼びました。

 膨大な数の人間が受験する科挙において、連中三元を達成するのは至難の業。

 約1300年に及ぶ科挙の歴史でも、わずか十数人程度しか、これを成し遂げていません。

 麻雀の大三元は、「白・發・中」の三種を、刻子(コーツ/3枚)または槓子(カンツ/4枚)で揃える必要があります。

 その難易度の高さから、連中三元になぞらえて、大三元と呼ばれるようになりました。

登竜門

 登竜門は、難関を突破して立身出世することを意味しており、現代でもよく使用されますが、これもまた科挙が関わっています。

 中国の黄河には「竜門」という激流がありました。

 ほとんどの鯉は激流で流されますが、登り切れば「天に昇る竜になる」と信じられました。

 何千・何万の鯉の中から、極わずかだけが竜になることから、やがて難関突破の象徴になっていきます。

 科挙は極めて競争率の高い試験です。ほとんどの人間は脱落しますが、突破した者にはその後の出世が約束されました。

 このことから、鯉が竜門を突破して竜になるという伝説になぞらえ、登竜門と呼ばれるようになりました。

鯉のぼり

 この言葉は、たとえば「甲子園はプロ野球への登竜門」など、今でもよく耳にしますが、実は「鯉のぼり」も関係しています。

 日本には、端午の節句(5月5日)に鯉のぼりを掲げる風習があります。

 昭和生まれの方であれば、ご家庭で鯉のぼりを掲げることは珍しくなかったでしょう。

 これには「元気に育って欲しい」に加えて、「困難を乗り越えて大成して欲しい」という意味が込められています。

 「わが子が竜門を登りますように」という親の願いです。

 鯉のぼりは、中国由来の登竜門から生じましたが、日本独自の風習です。江戸時代に始まったと言われます。中国に鯉のぼりはありません。

及第・落第

 及第と落第は、ともに科挙に由来する言葉です。

 科挙に合格することを及第、不合格になることを落第と呼びました。

 古代中国の「第」には、順位・等級という意味がありました。第一・第二・第三の「第」です。

 第に及べば(届けば)及第であり、第に及ばなければ落第ということで、合否を表す単語になりました。

 このように、元々は及第が合格、落第が不合格を意味しましたが、現在は少し用法が変わっています。

 合格に関しては、「及第と合格」を使い分けるようになりました。

 及第は、最低限の水準は満たしているという意味であり、「難点はあるが一応合格だ」という含みがあったりします。

 一方、不合格に関しては、落第と不合格のどちらでも通じますが、落第には別の意味が付与されました。

 単位を落としたり、進級できずに留年した時など、学校生活の中で失敗した時に、落第と表現されるようになっています。

編集

 紙が普及する以前、古代中国においては、竹簡(ちくかん)が使われていました。

 竹簡は、竹をタテに細く割って、それをヨコに糸で綴じたものです。

 この「糸で綴じる」ことを「編」と言いました。現在の「編む」や「編集」という言葉は、これに由来します。

 編んだ竹簡を、くるくると巻いたら「一巻」になります。

 そして、ある人間のストーリーが終われば、つまり死んだら「一巻の終わり」ということです。

 ただ、一巻の終わりという表現は、後世の洒落として生まれたようです。竹簡や編集と直接の関係はありません。

 紙が登場した後も、竹簡はしばらく使用され続けました。丈夫で破損しにくく、長期保存しやすかったからです。

 一方、その重量がデメリットであり、史記クラスの歴史書になると、数十キロに及んだとされます。

 そのため、紙の品質が徐々に上がり、かつ大量生産が可能になると、やがて紙に置換されていきます。

 3世紀頃に紙が普及し始め、7世紀頃には竹簡はほぼ姿を消した、少なくとも公文書の中心は紙になったと言われています。

玉砕

 現在の玉砕は、名誉を重んじて潔く滅びるという意味で使われます。

 大東亜戦争において、日本軍やメディアが使用した印象がありますが、語源は中国の古典にあります。

 歴史書である「北斉書」の一節に、次のような文章があります。

・むしろ玉砕すとも、瓦全するなかれ(瓦を壊さずに残すのではなく、美しい玉が砕けることを選べ)

 これは、つまらない人間が命だけ助かるより、高潔な人が信念を守って滅びた方がよいという意味合いです。

 発言した北斉の忠臣・元景安は、価値の高い玉として砕ける方が、価値の低い瓦として生き残るより立派だと考えたようです。

 この言葉は後に日本に伝わって、武士道と結び付いて使用されることになりました。

 現在では、必ずしも死を意味しません。たとえば、「難関校に挑戦して玉砕した」など、覚悟を決めて挑んだが及ばなかったという意味で使われたりします。

完璧

 古代中国の人々は、宝玉を重要なものとして扱いました。単に高価だっただけでなく、徳・人格・権威に結び付くと理解されたからです。

 皇帝の印章も「玉璽(ぎょくじ)」と呼びます。宝玉から作られました。

 玉砕と並ぶ宝玉関連の単語に「完璧」があります。

 古代中国の戦国時代、趙の宰相だった藺相如(りんしょうじょ)にまつわる逸話です。

 当時、趙には「和氏の璧(かしのへき)」という宝玉がありました。

 最強国だった秦の王(昭襄王/しょうじょうおう)は、この宝玉を欲しがり、趙に対して「15の城と交換しよう」と要求します。

 これを無下に断れば、戦争の口実にされるおそれがあったので、趙は藺相如に宝玉を持たせて秦に派遣しました。

怒髪天を衝く

 藺相如は秦王の言動から、「秦は城を渡す気がない。宝玉だけ奪うつもりだ」と判断します。

 そして、「もし城を渡さないなら、この璧を頭に叩きつけて砕きます」と言って、烈火のごとく怒って見せました。

 髪が逆立つほどの勢いで、激しい怒りを表したのです。命をかけた外交演出でした。

 この髪が逆立つ(怒髪上指)という表現から、日本では「怒髪天を衝く」という言葉が生まれています。

 結果として、藺相如は秦王の難癖を辛くもかわし、完全な状態で和氏の璧を持ち帰ることに成功します。これが「完璧」という言葉になりました。

 現在、完璧は欠点がないこと、完全無欠という意味で使われますが、元々は貴重な宝玉を傷つけずに持ち帰ることでした。

刎頸の交わり

 「刎頸(ふんけい)の交わり」という言葉があります。

 刎頸とは、首をはねるという意味です。刎頸の交わりは、首を斬られるほどの危険を、共にできる親密な関係を表しています。

 ここにも宰相・藺相如が登場します。つまり、彼は次の3つの言葉に関わっていることになります。

・完璧
・怒髪天を衝く
・刎頸の交わり

 趙には歴戦の将軍・廉頗(れんぱ)がいました。

 彼には、戦場で命をかけて祖国を守ってきたという自負があります。主に外交の功績によって、藺相如が自分より上の地位に就いたことに不満を覚えました。

 廉頗将軍にとっては、口先だけの人間が出世したように見えたのでしょう。

 彼は「次にあいつに会ったら、公の場で恥をかかせてやる」と周囲に零していました。

 これを聞いた藺相如は、廉頗将軍を避けましたが、その態度を「臆病ではないか」と一部の人間になじられます。その時、藺相如はこう答えました。

 秦が趙を恐れるのは、廉頗将軍と私がいるからだ。もし我々が争えば、趙は秦に攻め込まれてしまう。

 つまり、個人の名誉より国家を優先したのです。

 この経緯を知った廉頗将軍は、自らの言動を恥じて、藺相如の下を訪れて謝罪します。

 お互いの力量を認めて、共に祖国のために命を賭すことを誓いました。これが「刎頸の交わり」と呼ばれるようになります。

 つづく。

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