語源であそぼう 中国編 (1)

語源 中国 (1) その他

馬鹿

 秦朝の末期、絶大な権力を誇った宦官・趙高が、1頭の「鹿」を宮廷に連れていきました。

 彼は鹿を指さして、皇帝に「『馬』を献上します」と言って、宮廷内で物議を醸しました。

 「何を言っているんだ、それは鹿ではないか!」と言う者と、「趙高様のおっしゃる通り、それは馬だ!」と言う者が、大論争になったのです。

 この時に事実、つまり鹿だと言った人間は、その後に殺害・失脚させられました。

 一方、嘘だと知りながら、権力に媚びへつらった者、つまり馬だと言った人間は助かりました。

 この騒動(指鹿為馬)が転じて、「馬鹿」になったと言われます。

 当然ですが、趙高は言い間違えたのではありません。自分に従う者と従わない者を判別するために、ある種の踏み絵を踏ませたのです。

 なお、これは有力説の一つであり、他にも次のような説があります。

・愚かを意味するサンスクリット語が転じたという説
・破家(家を潰す者)が転じたという説
・はかなし(思慮が浅い)が転じたという説

阿保

 諸説ありますが、最も広く知られるのは、秦の始皇帝が建設した巨大宮殿「阿房宮/あぼうきゅう」に由来するという説です。

 始皇帝は、莫大な財力と人員を投入して、阿房宮を建設しました。

 しかし、次のような事情から、無駄で愚かな事業の象徴として、語られるようになりました。

・あまりにも巨大で、無駄が多かった。
・民衆に重い負担を強いた。
・完成を待つことなく、秦王朝が滅亡した。
・何の役にも立たずに焼け落ちた。

 阿呆というと、三国志ファンの方は、劉備の子・劉禅を思い浮かべるかもしれません。

 劉禅は「三国志演義」では、蜀を滅ぼした無能と描かれており、幼名だった「阿斗」が転じて、阿呆になったという説があります。

 しかし、これは俗説であり、学者には支持されていません。

 劉禅の在位期間は約40年であり、名宰相・諸葛孔明が没した後も約30年、大きな内乱を起こすことなく統治しています。

 実際の彼は、有能ではないにしても、無能とは言えないでしょう。

宦官

 宦官は、皇帝に仕えるために去勢された男性官僚のこと。

 最大の特徴は、皇帝の姫たち(後宮)と接触できる、唯一の男性だったことです。

 当時は遺伝子検査などありませんから、生殖能力のある男性が後宮に紛れ込むと、偽の皇子が生まれる可能性がありました。

 そのため、去勢によって生殖能力を失った男性だけが、後宮に立ち入ることが許されました。

出世の手段

 去勢は刑罰でもありましたが、宦官を目指した男性の多くは、自ら去勢することを選んだとされます。

 なぜなら、中国の厳しい身分社会において、最下層の貧民が出世する手段は、科挙か宦官くらいしかなかったからです。

 科挙は6世紀後半に始まりましたが、宦官はその遥か前の紀元前、殷(いん)の時代から存在したと言われます。

 厳しい労役がない、食いはぐれないなど、現代であれば、公務員を目指すイメージに近かったのかもしれません。

 去勢時の傷が原因で亡くなる例も多かったので、命がけだったことは間違いありません。

後宮の管理

 宦官が権力を得やすかったのは、皇帝の傍で補佐する役割だったことに加えて、後宮に関わる仕事をしていたことが理由です。

 姫たちの性格や好みを熟知しており、性愛に関して皇帝の相談に乗ったり、夜の営みを日々手配したりしたので、皇帝の信頼を得やすかったとされます。

 秦朝末期の趙高や、後漢末期の十常侍など、国を滅ぼした宦官が有名ですが、明朝で大艦隊を率いた鄭和など、優秀な宦官も多くいました。

 日本は、古代中国から様々な文化を輸入しましたが、科挙や宦官は取り入れませんでした。これは我が先人たちの英断だったと言えます。

酒池肉林

 酒池肉林は、極端にぜいたくで、酒色にふける生活を意味します。

 ぜいたく三昧、酒とご馳走に囲まれた生活、快楽に溺れることなどの比喩として、たとえば「〇〇社長は会社の金で、酒池肉林の生活を送っている」などと表現されます。

 下品なほどに甘く響くこの言葉は、古代中国の暴君として知られる、殷朝最後の王・紂王(ちゅうおう)に由来します。

 彼は寵愛した姫・妲己(だっき)の関心を引くため、文字通り池を酒で満たし、木々に肉を吊るした豪奢の宴会を開いたと言われます。

 大勢の男女を、裸で追いかけ回らせて遊ばせ、それを見て楽しんだと伝わります。

天命思想

 紂王はとんでもない暴君と描かれていますが、実際は非常に頭がよく、身体能力にも優れていました。

 彼が不当に貶められて、おそらくは相当な誇張がある酒池肉林が有名になったのは、中国史観が「天命思想」を軸にしているからです。

 天命思想とは、天(天帝)が徳のある王に、天下を治める資格を与えるという考え方です。

 この思想によれば、次のような流れでなければなりません。

・天命を授かった徳のある王が、天下を統治する。
・王(またはその子孫)が暴君になって政治が腐敗し、世の中が乱れたら、その王朝は天命を失う。
・新しく天命を授かった徳のある者が、暴君を倒して新たな王朝を建てる。

 したがって、滅亡した王朝の君主は、新しい興った王朝の歴史叙述によって、必ず暴君・悪人として描かれることになります。

 これは紂王に限りません。中国史観に通底する基本ルールの一つです。

焚書坑儒

 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)は秦の始皇帝が行ったとされる、不都合な書物を焼き払い、儒者を生き埋め(または集団処刑)にした事件です。

 焚書は思想統制であり、坑儒は反対派の弾圧です。これによって、支配を強めることを狙いました。

 現代では、次のような事柄の象徴として、使われることが多いです。

・言論の自由を弾圧すること。
・国家権力によって思想を統制すること。
・異なる意見を力で排除すること。

 始皇帝は、約500年も続いた戦国時代を終わらせて、初の統一王朝・秦を建国しました。

 戦乱の時代が長かったため、法律・文字・貨幣・計量単位・車軌などがバラバラであり、秦はこれらを統一することを目指しました。

 それによって得た恩恵は大きなものでしたが、思想を統制しようとした焚書坑儒に関しては、功罪の「罪」にほうに当たるとされています。

 ただし、焚書は書物を無差別に焼いたのではなく、選択的に行われました。

 実用書・技術書など役に立つ書物は残して、現政権の批判につながるような思想書・歴史書などを、主に排除したと言われます。

有名な焚書事例

 焚書坑儒は、世界史において何度か発生しており、よく知られた事件として次のようなものがあります。

・マヤ文明の破壊
・イスラムの学術機関「知恵の館」の破壊
・ドイツのナチス政権
・文化大革命

 つい最近まで大規模に行われていた、ということに驚かされます。

 大東亜戦争の後、アメリカのGHQが行った占領政策の一つとして、出版統制・書籍回収・プレスコード・公職追放などがありました。

 これを焚書坑儒になぞらえる人も一部にいます。

坑とは

 「坑」という表現は中国史に特有ですが、これは生き埋めに限らず、集団処刑・集団埋葬を意味するとされます。

 集団処刑・集団埋葬は、中国に限った事象ではありません。

 しかし一方で、中国史においては「坑」という一文字で、これを表現する用法が古くから定着しており、歴史書でもしばしば登場します。

 その意味では、中国史の特徴の一つであることは、間違いないでしょう。

 最も有名な長平の戦い(紀元前260年)では、秦の名将・白起が、なんと約40万人もの趙軍捕虜を「坑」にしたと言われます。

 これは次のような軍事的事情からでした。

・大量すぎて管理できない。
・捕虜を養うだけの食糧がない。
・反乱を起こす可能性がある。

 多少の誇張はあるのせよ、あまりにもスケールが違い過ぎます。

 つづく。

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