FF16 クライヴは生きている (1) エンディング考察 ハッピーエンドの理由

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 FF16のエンディング解釈は、クライヴの生存説と死亡説に割れてるようです。

 しかし、整理して考えていくと、状況証拠は生存側に偏っています。願望込みではなく、生きていないとおかしいと思えるほどに。

石化で死にたがるのは無理筋

 浜辺に横たわるクライヴは、魔法を使おうとするけれど、火が出ないという描写があります。

 ここで、左手が石化していることを、死亡フラグと見る意見があるようです。

 しかし、これは単に魔法の根源であるマザークリスタルが、破壊されたことを示しているに過ぎません。

 FF16の世界では、ベアラーの石化は徐々に進行します。

 もし死亡を描きたいのであれば、石化が悪化していく過程が必要になります。

 ジョシュアやジルの場合は、作中にこうした描写がありますが、クライヴに関してはありません。

 クライヴが、アルテマと最後のマザークリスタルを消滅させたことで、世界からエーテルと魔法そのものが消えています。

 石化は魔法使用による代償なので、魔法が存在しなくなれば、石化が進行することもありません。

 したがって、石化で死亡したと考えるのは無理筋です。

 魔法を放つ左手が石化したのに対して、剣を取る右手は石化していない点が重要です。

 クライヴは後に、剣の代わりにペンを執って、右手で本を執筆するからです。

浜辺に込めた意図

 クライヴが浜辺に横たわっていたという点も、やや含みがあると言えます。

 オリジンから投げ出された後、海に落ちて助かり、浜辺に流れ着いたということもありますが、この作品の「浜辺の使い方」には意図を感じます。

 なかなか進展しないクライヴとジルの関係に、やきもきした人は多いでしょう。

 二人の仲が急速に深まったのは、やはり浜辺でした。

 どうやら浜辺は新しい関係や、新しい世界を暗示しているようです。

 クライヴが「俺は必ず帰って来る」と約束し、ジルが彼の安全を願った場所は、やはり海が見える入り江にある隠れ家でした。

 海の近くで帰って来ると約束して、浜辺に帰って来たわけです。

 そもそも浜辺は多くの作品において、自世界(陸)と異世界(海)の境界と描かれる傾向があります。

 オリジンという異世界(のような場所)に突入して、無事に戻って来た状態ですから、ここから死んでいただくのは不自然です。死ぬとしたら異世界の中でしょう。

 逆に、オリジンで致命傷を負ったジョシュアと、消息を絶ったディオンは、死亡した可能性が高くなります。浜辺に戻れなかったからです。

なぜジョシュア名義にしたのか?

 エンディングには、ジョシュア名義で書かれた「Final Fantasy」という書が登場します。

 このため、ジョシュア生存説やクライヴ死亡説があるようです。

 私も願望としては、ジョシュアに生存していて欲しいのですが、これは難しいと言わざるを得ません。

 ジョシュアは、アルテマに胸部を引き裂かれて、致命傷を負っています。

 その致命傷がなかったとしても、石化が重度に進行しており、既に危険な状態であることが、オリジン突入前に繰り返し描写されていました。

 クライヴが、継承したフェニックスの力で治癒を試みた時、ジョシュア本人が「いいんだ、どうせ僕は助からない」と言って断っています。

 また、肉体を癒すフェニックスといえど、死者を蘇らせる力はないと、作中で明言されています。

大罪人としての負い目

 クライヴは、なぜジョシュア名義で執筆したのでしょうか?

 幾つか考えられますが、最も大きな理由は、クライヴが大罪人であるからでしょう。

 私たちはクライヴの視点でプレイしているため、自然とクライヴに感情移入しており、事情や経緯をよく理解しています。

 しかし、ヴァリスゼアの一般大衆は、そうした事実を知らされていません。

 マザークリスタルを破壊して、クリスタルの供給を止めることは、現在で言えば電気やガスなど、欠かせないインフラを破壊することに相当します。

 クライヴは、各国の生活インフラを破壊して回り、世界を混乱させた大罪人と認識されていますから、国民感情として「新しい時代」を描く者に相応しくありません。

・クライヴのことや、彼の活動を詳しく知っている。
・しかし、クライヴ本人ではなく、第三者の立場で、ある程度の客観性を持った記述ができる。
・世間を信用させる身分や肩書がある(または過去にあった)。

 こうした条件を備えているジョシュアの名は、出版に際して都合がよかったのでしょう。

 また、クライヴは自分一人が世界を変えたとは考えていません。

 次のような想いから、ジョシュアに捧げるという意味合いも、当然あったと思われます。

・ジョシュアに対する深い感謝。
・ナイトとして、王子を守れなかった後悔。

兄弟愛の物語

 クライヴは、大罪人シドの役目を継いだことを始め、作中で何度も他人の意志を継いでいます。

 最愛の弟であるジョシュアを継ぐのは、不思議なことではありません。

 FF16において、兄弟愛は男女愛以上に描かれています。ジョシュアに始まり、ジョシュアに終わるのは、むしろ自然とも言えます。

 この物語の最も悲しい点は、クライヴの心に二度までも、「弟を守れなかった」という思いを刻んでしまったことだと、私は考えています。

 父エルウィンの想いも、やはり継いでいると考えるべきでしょう。

 嫡男(次男だが正当後継)ジョシュアの名は、エルウィンの想いを表現する上でも最適です。

 エルウィンが志して、クライヴが実現した世界を、ジョシュアの名で書く。

 これはエルウィンからジョシュアに続く嫡流が「善」を、クライヴが汚れ役の「悪」を引き受ける構成です。彼ならやりそうだと思いませんか?

サブクエストの伏線回収

 クライヴ生存説には、演出上の理由もあります。それはサブクエストで張った伏線の回収です。

 なぜメインではなく、サブにしたのだろうと思うほど、重要な伏線を含んでいます。特に「白銀の君」を見ていないなら、死亡説に傾くのも仕方ありません。

老師の想いを胸に

 まず、ハルポクラテスのサブクエスト「老師の想いを胸に」です。

 ハルポクラテスは、クライヴにストラスの羽ペンを贈り、戦いが終わったら、自分の物語を書けという趣旨の発言をします。

 そして、お主が剣ではなく、ペンを執る日が来ることを願っていると伝えます。

 剣を取ってアルテマを倒した後、ペンを執って書いたのが「Final Fantasy」であるとすれば、この伏線を綺麗に回収できます。

 逆に、執筆していないとすれば、このサブクエストが浮いてしまいます。

白銀の君

 次に、ジルのサブクエスト「白銀の君」です。

 これをメインに含めなかったのは、エンディング解釈で物議を醸すのが狙いではないかと邪推したくなるほど、直前に重要な伏線を張っています。

 日本語ではなく、英語表記の方を見ていきます。

 ”No matter how terrible the night, dawn would always come. That you would always come for me. And you have. Again and again.”

 「どんなに辛い夜でも、必ず朝は来る。そして、あなたも必ず、私の元へ来てくれた。本当に、何回でも」

 ジルの中で「朝が来る」ことと、「クライヴが帰って来る」ことは、幼年期から重ねて結び付けられています。

 この朝(dawn/夜明け)が重要です。覚えておいてください。

 どれほど辛く、どれほど不安な夜でも、ジルにとってクライヴは、朝に必ず帰って来た(And you have (always come for me))存在なのです。

 彼女はそのことを、幼年期から何回も(again and again)経験してきました。

 鉄王国で地獄を見た後も、結局クライヴはジルの元に帰って来ました。

 そして、オリジンの最終決戦に向かう前、クライヴはジルに約束します。「俺は必ず帰って来る」と。

 あえて英語版を紹介したのは、日本語版だとこの「朝とクライヴ」という、重要な関連付けが曖昧に見えるからです。

 とても素敵なエピソードなのですが、「嵐の翌朝に太陽へ向かって咲く花を見て、私は前を向いて歩いていけると思った」という点が強調されており、エンディングとの関連では、ややフォーカスがぼやけています。

なぜジルは微笑んだのか?

 エンディングにおいて、ジルはメティアが消えたのを見て涙を流し、そして走り去って行きます。

 ジルの異変を見たガブは、同じく涙を流します。

 トルガルはジルの後を追って駆け、空に向かって遠吠えします。

 いかにもバッドエンドを連想させる描写です。

 しかし、夜明けに朝陽が昇るのを見てジルは微笑み、穏やかな表情を見せます。

 思い出してください。どれほど辛く、どれほど不安な夜でも、クライヴは朝に必ず帰って来る存在でした。

 彼女は、幼年期から心の拠り所にしたメティアではなく、クライヴとの約束を信じたのです。

 クライヴは昔から、夜が明けると必ず帰って来た。オリジンへ発つ前、必ず帰って来ると約束した。そして、夜明けを見てジルが微笑んだ。

 この運び方は、明らかにバッドの演出ではありません。

メティアはジルのもの

 FF16において、メティアはジルのために存在します。

 この「願いを叶える星」は、ヴァリスゼアの誰もが知る天体でありながら、不思議なほど作中で注目されません。

 その光が消えた時でさえ、なぜかジル以外は無関心なのです。

 メティアをつぶさに観察したのはジルだけです。この作品において、少なくとも演出上は、メティアはジルのものです。

 メティアは「ジル」を表現しています。クライヴの生死ではなく。この点は詳しく別記します。

ガブの涙は雑音

 ガブは優秀な斥候ではありますが、エンディング解釈において、彼の涙は雑音でしかありません。

 ガブは何を見て、クライヴに良くないことがあったと誤解したのでしょうか?

 それは走り去るジルの姿です。すなわち、二次情報です。

 したがって、ジルの解釈を間違えた場合、ガブの解釈も連鎖的に間違えることになります。

なぜトルガルは遠吠えしたのか?

 トルガルはどうでしょうか?

 トルガルもまたジルの異変を察知して、走り去った彼女を追い駆けます。

 トルガルがメティアを見るカットは存在しません。トルガルはジルを見ています。その意味ではガブと同じです。

 しかし、トルガルは普通の狼ではなく、フェンリルの力を宿しています。その不思議な力が、何かを察知した可能性はあるかもしれません。

 それでは、トルガルの遠吠えは何を意味するでしょうか?

 狼が遠吠えするのは、主に位置情報を連絡し合う時です。迷子になった子供や、狩りの途中にはぐれた仲間を探す時に、遠吠えして位置を知らせます。

 また、仲間を集合させる合図や、縄張りを主張する威嚇として使うこともあります。

 伴侶や仲間が死んだ時に、狼が遠吠えすることはありません。

 そういう時は、鼻で突いたり、匂いを嗅いだり、舐めたりします。そして長時間、その近くを離れようとしません。

 こうした狼の習性を考慮した場合、トルガルはクライヴの死を悲しんだのではないでしょう。

 ジルの異変を察知して、クライヴを「探している」のだと思われます。

演出上の構文

 演出上の構文もまた、重要な示唆になります。

 「確かにA、しかしBである」と言った場合、力点はBの方にあります。

 確かに、メティアが消えたのを見て、ジルは泣きました。しかし、彼女は朝陽を見て微笑みました。

 この場合も当然、力点は後者にあります。バッドエンドだとすると、後者の演出が不自然に浮いてしまいます。わざわざ描く意味がありません。

 大切な恋人が死んだ翌朝に、朝陽を見て微笑む女性はおそらくいないでしょう。

 続いて、解釈の対立を生んだ「大罪人」のメティアについて考察していきます。

 つづく。

 注
 この記事は個人の考察であり、スクウェアエニックス社の見解ではありません。
 内容の正確性を保証するものではなく、作品をより楽しむための娯楽的推測であることをご了承ください。

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