始まりは「信長の野望」
子供の頃、「信長の野望」というゲームが大好きでした。
光栄(現コーエーテクモゲームス)社の代表作とされる歴史シミュレーションゲームです。
私と同じように、光栄の信長の野望(や三国志)をきっかけにして、歴史好きになった諸兄は多いのではないでしょうか。
歴史の授業ではほとんど登場しないので、テストの点数には貢献しませんでしたが、歴史そのものが趣味になりました。
その趣味が今なお続いていることを考えると、ある意味で人生を変えてくれたゲームです。
これのお陰で、今でも歴史ドラマや映画、歴史を扱う番組などを楽しめています。
尊敬する人は武田信玄
小学校3年生の頃、「尊敬する人」を書いて提出するという授業がありました。
それ以外には、自分の名前の由来を親に聞いて調べたり、将来の夢を書いたり、友人の良い点を挙げたりと、今にして思えば、当時の担任は知恵をこらしていました。
ほとんどの生徒は、尊敬する人としてプロ野球選手や、テレビで活躍する俳優、女優などを挙げていました。両親と書いた立派な子供もいました。
歴史少年だった私は、「武田信玄」と書きました。
尊敬する理由の欄は「人は城、人は石垣、人は堀…」なんてことを書いていたのです、小学校3年生が。
しかも、上杉謙信が振り下ろす刀を、軍配で受け止める絵なんて描いちゃったりしたわけです。頼まれてもないのに。担任の先生も、きっと苦笑いしたことでしょう。
それもこれも、全部「信長の野望」のお陰です。
なぜ、こんなことを覚えているかと言いますと、同じクラスだった、私の幼馴染の友人は「モーゼ」と書きました。
ユダヤの民を引き連れて、出エジプトする時に海を二つに割った、あのモーゼです。しつこいようですが、小学校3年生です。ユダヤ教徒ではありません。
当時は二人ともまじめだったのですが、年を経るとともに、そのシュールさが笑えるようになって、一緒に飲む時などはこのネタでお互いをイジったりします。それで覚えているのです。
担任の心境を想像すると、じわじわ笑えてきます。

人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
変態たち
私は今でも歴史が好きでして、歴史系の番組をよく見るのですが、いつも思うことがあります。
「多くの人は○○と思っていますが、歴史の真実はこうなんですよ」という話の受けがよく、私自身も食い入るように聞いていますが、冷静に考えるとこれがけっこう滑稽なのです。
歴史家の先生は、「いやぁ、ドラマなどは想像力が豊か過ぎましてね、私ら歴史を扱う者としては困ってしまうんですよ~」的なことを言うのですが、いやいや何をおっしゃいますか。
あなたがた歴史家は、一般人のようなサラリーマン生活が務まらない、かつメシの種になり辛い「歴史」なるドツボに魅了された変態おじさんじゃないですか。
もちろん「変態」は、イイ意味で言ってますよ。すべてのプロフェッショナルは、特定領域における変態であるべきですから。常態であってはアマチュアです。
しかしですね、作家が大衆受けするストーリーを創作するから、それが読者を増やしたり、映像化されたりして普及するのです。
この重要な前提があればこそ、「一般には〇〇と思われますが、事実はぜんぜん違うんですよ」とか、「皆さんはまったく分かっておられない。一次史料によれば…」とか言える訳です。
公平を期すために付言しておきますが、もちろん作家も変態です。
つまり、エンタメ従事者が、とある情報を(事実より商売優先で)広めることで、史料を扱う歴史家にメシの種が増えて、「それは違いましてね」という話に、聞きたい人々が出てくるのです。
そして、そういう話に、我われ素人が「うんうん、さすが〇〇先生だ」「本当はそうだったんだぁ」とか思っちゃう訳で、これはもう変態たちの共依存なのです。
私は証券会社に勤務していた時期がありまして、自分の腕一本で功成り名遂げて、お金持ちになった中小企業の社長さんが、そこらへんの貧乏サラリーマンである証券マンの話に食い入る姿を、いつも不思議に思っていました。
同じように、社会的に立派な諸兄たちが、歴史家という変態おじさんに拍手喝采する姿が、私にはけっこう滑稽に思えてしまうのです。
しかも、学会のような高度なやり取りではなく、そこらへんの歴史デマをディスることに。
デマを流す人も、それをディスる人も、そのやり取りを見ている人も、みんな幸せになれるのですから、歴史って素晴らしいですよね。
戦国武将や幕末志士は、わが国の資源です。
つづく。
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