敵の長所を吸収する
徳川家は武田の軍事機構を取り込みましたが、政治機構はどうしたかと言えば、北条家のそれを取り込みました。
その意味では、武田家ほどではありませんが、北条家も徳川の一部になったと捉えられます。
そうなると当然、北条家の評価も悪くはなりません。
武田家と北条家の評価が高くなれば、それらと伍した好敵手の上杉家も、自ずと評価が高くなります。
歴史好きの間には、関東は強い大名の激戦区というイメージがあるでしょうが、そこには徳川史観によって持ち上げられた側面があります。

家康の凄さは多岐にわたりますが、このように敵方の長所を大胆に吸収したことは、彼の偉大な点の一つでした。
なお、北条家はその政治機構が高く評価された一方、関東の都市開発については、過小評価されることになりました。
なぜなら、徳川家康が関八州に移封となり、「徳川家が苦労して都市開発をしたからこそ、江戸とその周辺がここまで発達した」というストーリーにする必要があったからです。
最初は「荒れ地同然」ぐらいの方が、その後の発展を徳川家の功績にしやすいというわけです。
これによって、北条家の先行的な都市整備は、相対的に目立たなりました。
真田、日ノ本一の兵
真田信繫(幸村)もまた、徳川史観によって英雄化された人物の一人です。
1615年の大坂夏の陣において、徳川軍の中央部に突撃し、猛烈な勢いで前衛を押し崩したとされます。
「真田勢が家康の馬印の近くまで迫った」とか、「家康が旗本に守られながら後退した」などの記録があることから、家康に危機感を与えたのはおそらく事実です。
しかし、「床机に腰掛けて切腹の覚悟をした」というのは、どうやら軍記物による創作のようです。

最後に勝つのは家康なので、信繁が寸前まで迫ったという描写は、軍記物として都合がよかったのでしょう。
そして、信繁は確かに「日ノ本一の兵(つわもの)」だったが、それに勝った家康はさらに偉大である、という流れにもなります。
真田は徳川の一部である
信繁の生年は、1567年という説と1570年という説があります。
1600年から14年間は、高野山や九度山に流されて、閉じ込められていたのですから、将として脂が乗る30代~40代前半に、まったく活躍できませんでした。
兄の信之が、勝ち組の徳川家に与して重用された一方、弟の自分は負け組に属してしまい、父の昌幸の愚痴・小言を聞きながら、どうにか一族をまとめていました。
最期の華々しさを考えると、なんとも鬱屈とした辛い時期だったことでしょう。
信繁の凄さは、14年間もの流寓生活を耐え抜いた後、豊臣方に馳せ参じて、最後のチャンスに激しく輝いたことにあります。
極めて忍耐強く、かつ決断力に優れた人物だったと言えます。

信繁が英雄化された理由は、家康の勝利にドラマ性を与えた、よき引き立て役だったことに加えて、兄の信之が徳川方に属し、本多忠勝の娘を娶っていることにあります。
本多忠勝と言えば、徳川四天王にして「家康に過ぎたるもの」とまで言われた名将。
その身内になる真田家は、これまた徳川の一部という面がありました。
したがって、悪しざまに描くのではなく、信繁を英雄化した一方で、家康はさらにそれを超える、という構成にした方が都合がよかったのです。
中国史観はどう描く?
徳川史観で興味深いのは、「敵を強く描く」という手法です。
私たち日本人の感覚としては、普通に感じるかもしれませんが、世界と比較するとこれは珍しい特徴と言えます。
たとえば、中国の正史は、敵を「悪人・逆賊」と描く傾向があります。
これは中国史観が、易姓革命や天命思想の影響を強く受けているからです。
・天が「天命」を与えた者が、正当な王朝を建てる。
・王朝が腐敗した時、天命が失われる。
・新たに天命を得た者が、腐敗した王朝を倒して、新しい王朝を建てる。
こういう発想が根本にあります。

天命を失った王朝には、災害が多発するとも言われ、イナゴの大量発生・河川の氾濫・日照りと凶作・疫病の発生なども、腐敗した王朝が天命を失った(または失いつつある)サインだと捉える傾向があります。
この天命思想に従えば、以下が絶対条件になります。
・新しく興った王朝は、天命を与えられており、正当な資格がある。
・倒された旧王朝は、腐敗して悪政を行い、天命を失っていた。
このため、現在の政権から見て、旧政権だった敵は「悪人」、歯向かう者は「逆賊」でなければならないのです。
日本では「忠臣蔵」が好まれていますが、もし仮に同じ事件が中国で起きたとしたら、逆賊として徹底的に否定される可能性が高いでしょう。

日本には、たとえ敵であっても、忠義や武勇に優れていれば、称賛する文化があります。
私たちにとっては違和感のないことですが、それは世界共通の感覚ではありません。
西洋史観はどう描く?
それでは、欧米などのキリスト教国家はどうでしょうか。
彼らの場合は、敵を「道義的に悪・無能・野蛮」と描く傾向があります。
これは一神教にありがちな善悪二元論や、ナショナリズムに影響されています。
唯一絶対の神に導かれた自分たちは「善」であり、それを脅かす敵は「悪」であるという発想です。
この発想は、日本人にとっては、驚いてしまうほど強いものです。
たとえば、アメリカの第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは、2002年の一般教書演説において、イラク・イラン・北朝鮮を「Axis of Evil/悪の枢軸」や「Rogue States/ならず者国家」と、名指しして批判しました。

日本にとっても他人事ではありません。
わが国は第二次世界大戦の時、ドイツやイタリアと一緒くたにされて、次の通りアメリカに散々な言われ方をしています。
・aggressor nations(侵略国家)
・evil dictatorships(邪悪な独裁国家)
・forces of evil(悪の勢力)
2002年の「悪の枢軸」という表現も、第二次世界大戦における「枢軸国」から来たレトリックです。
彼らの善悪二元論によれば、強く平和を望んでいた昭和天皇すら、evil(邪悪)になってしまうのです。なんという思い込みの強さでしょう。
異教徒は無能・野蛮
キリスト教国家には、善悪二元論とは別の特徴もあります。
それはキリスト教を理解しない国を、「無能・野蛮」と断じる傾向があることです。
過去の彼らには、「正しい神に導かれて、正しく文明を発達させた我々が、そうでない無能・野蛮な民族を導くのだ」という意識がありました。

大航海時代や帝国主義は、そうした発想と人間の闇の面が露出した、アジア・アフリカにとっては受難の時期でした。
もちろん個人差はあり、現地の民族・文明を高く評価した人間もいましたが、その多くは強い関心を示さず、現地の文明を破壊してしまいました。
わが国も例外ではありません。
マシュー・ペリー、タウンゼント・ハリスなど、現地日本を実際に見た人間は、日本人を高く評価しましたが、大多数のアメリカ人はそうではありません。
特に第二次世界大戦で、戦争プロパガンダが盛んだった時期は、有色人種に対する差別と相まって、信じ難いほど酷い描写をされました。
日本人を、猿・ネズミ・害虫・蛇のように扱ったのです。
ドイツ人は「敵国民」だが、日本人は「異人種の敵」として害虫扱いされています。
将棋がいかに特異か
こうした「敵」に対する根本的な態度の違いは、面白いところにも表れています。
それは「将棋」です。
将棋は、取った敵の駒を味方として使うことができますが、これは実は特異なルールです。
こんなルールが当たり前にできてしまうところに、日本の異常さ(あるいは誇り)があります。
世界史では、侵略して勝った民族は、負けた民族を奴隷にして、虐殺したり、強姦したり、強制労働させたりする事例が多くあります。
敗軍の将を、同列の仲間に迎えるという発想が、そもそもあまりないのでしょう。
ただし、どの有力者に属するかは自由です。
たとえば、中世ヨーロッパでは、封建領主と騎士が契約をしますが、騎士の判断で「鞍替え」することは自由でした。

日本人の感覚だと「裏切り」と感じてしまうことがありますが、これもまた感覚の違いでしょう。彼らの意識では、裏切りというより「鞍替え」なのです。
上手く鞍替えして勝ち組に付けば、その人は有能とみなされます。
しかし、それに失敗して負け組になったら、無能・野蛮として処刑されても、文句は言えないということです。
そして「勝った方が善、負けた方が悪」というストーリーが、露骨に創作されることになります。
つづく。
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