敵を英雄にしたがる徳川 (3) 名家を集めたがる

徳川史観 (3) ブログ

みんな英雄だけど俺が一番

 こう考えると、敵を「手強い相手」として描き、なんなら英雄化してしまう徳川史観は、異質なものに見えてくるのではないでしょうか。

 もちろん、日本にも敵を「無能・悪人」と描く例はありますが、逆に「持ち上げる」というのは、とても興味深い特徴です。

 そして、誰が不自然に持ち上げられているかを考えると、勝者の政治的な意図が分かって面白かったりします。

 あの人も英雄、この人も英雄。でも、最後に勝った徳川が最も偉大である。

 あの英雄も、この英雄も、結局は徳川に属して忠誠を誓った。そんな徳川を朝廷もお認めになった。

 徳川を中心にして、日本の大団円が実現した。だからこそ幕府は強く、そして正当なのである。

 いかにも日本人好みのストーリーになります。

 徳川家だけを英雄にしなかった点は、日本人の性質と志向に合った、巧妙な歴史叙述だったと言えるでしょう。

なぜ英雄にしたがるのか

 なぜ徳川史観には、こうした特徴が生じたのでしょうか。理由は幾つか考えられます。

名誉を重んじる

 中世の武士社会では元々、強敵を倒した方が名誉になるという価値観がありました。

 名のある武将を討ち取ることで、己の武功や家の名誉が高まると考えられており、それが土地・役職などの恩賞にもつながりました。

 多くの雑兵ではなく、一人の強敵を討つことは、武士にとって大きな関心事の一つだったと言えます。

 平家物語には、この価値観が色濃く現れており、武士たちは戦場で名乗りを上げて、「我こそは○○」と名乗ってから戦うことがあります。

 これは単なる儀礼ではなく、「誰が誰を討ったか」を明確にするためでした。

 敵・味方を証人にして雌雄を決し、勝った方が相手の首を持ち帰ることで、自分の功績を証明したのです。

 戦国後期になると、集団戦の巧拙が重視されるようになり、個人の武勇は相対的に比重を落としましたが、組織として「強敵に勝つ」ことはやはり尊ばれました。

 徳川家に敗れた相手が強ければ強いほど、徳川家の権威が高まるというわけです。

判官贔屓の国民性

 日本人には、才能・忠義・功績などがありながら、運命に敗れた悲劇の英雄に共感する性質があります。

 いわゆる「判官贔屓(ほうがんびいき)」です。

 源義経がその代表であり、この言葉自体が彼の官職「九郎判官」に由来します。

 忠臣蔵もまた、歴史エンタメとして長らく人気を博しました。

 最近でこそ存在感が薄まりましたが、私が子供の頃(昭和後期)は、それこそ毎年のように番組が作られていました。

 権力に敗れた英雄を尊ぶ文化は、必ずしも日本だけではありません。

 たとえば、ウィリアム・ウォレスやジャンヌ・ダルクなど、西洋にもそうした傾向が見られますが、日本人は特にそうした面が強いと言えます。

 中世の日本には元々、「諸行無常」や「栄枯盛衰」という言葉がありました。

 すべては移り行くものであり、栄えた者もいずれ必ず滅びるという観念です。

 こうした下地がある状態で、約260年という世界史でも稀な平和期を過ごしたことで、敗者に目を向ける意識が醸成されたのでしょう。

 単なる弱者では足りませんが、敗れた者に「高潔・忠義・努力・悲劇性」などが加わると、どうやら日本人の無常観や美意識に適合するようです。

 弱肉強食の世であれば、素直に勝者が評価されますが、長期にわたる太平の世は、悲劇の英雄を多く生むことになりました。

名家コレクター

 家康の趣味と言えば何でしょうか。

 1,000回以上も楽しんだという鷹狩り、医者よりも詳しかったという健康オタクぶり。

 この二つが有名ですが、重要な実益を兼ねた趣味がもう一つあります。それは「名家・高家集め」です。

 家康は名門の血筋や伝統を、積極的に利用しています。

 戦国は「実力の時代」でしたが、天下が平定すれば「格式の時代」になるからです。家康はその転換を意識的に進めました。

 名家・高家を血縁に継がせる、または婚姻で取り込むことで、一門や傘下に収めていきます。

 大多数の有力大名が服属すれば、武家社会の頂点にあることが明確になり、朝廷との関係も安定したからです。

 足利一門・吉良家・今川家・武田家・北条家・六角家・京極家など、伝統ある名門を保護して、これらを取り込んでいきました。

 徳川を支える味方という位置づけになりますから、自ずと持ち上げる傾向が強くなります。

 なお、豊臣家を潰したことは、こうした動きとは対照的です。

 豊臣家は新興勢力であり、将軍の血筋ではなく、また徳川家にとって最大の競合でした。

 他の名家・高家のような利用価値がない一方、幕府の正統性を脅かすため、生かす道理がなかったのでしょう。

源氏ストーリー

 名家・高家を集めるだけでなく、家康自身も徳川の血筋に箔をつけようと画策しました。

 出自は三河国の豪族なのに、かなり強引な系譜操作によって、「徳川家は清和源氏の嫡流である」というストーリーを作っています。

 源氏である徳川家が征夷大将軍に就き、数多くの名家・高家の支持を得ているという体裁が、幕府の正当性を主張するために重要だったからです。

 いかに強大な勢力とは言え、地方の土豪出身が由緒正しい名門を従えるという構図は、人々の心理的に収まりがよくありません。

 鎌倉幕府以来、征夷大将軍の多くは清和源氏から出ていました。

 当時の武家政権では、「将軍=源氏の棟梁」という考え方が強く残っていたのです。

 豊臣秀吉も源氏ではなかったため、将軍になることが難しく、藤原氏の猶子(ゆうし/一代限りの養子)になることで関白に就任しましたが、家康はこの教訓に学んだのでしょう。

 当時は戸籍制度やDNA鑑定はありません。名門の養子に入って、家を継ぐことも普通にありました。

 系譜は厳密さを追求するより、「政治的に整えるもの」という認識が強く、それが世情安定という利益になるなら、許容される下地があったようです。

 このように、家康は戦国の世を終わらせただけでなく、その後に続く「格式と権威」を設計した政治家でもありました。

義将、ここにあり

 敵を英雄にしたがる徳川史観において、面白いこぼれ話が幾つかあります。

 その一つは、義将として名高い上杉謙信です。

 徳川家と上杉家は、関ケ原のくだりで悶着はあったものの、直接の大戦争はしていません。

 家康と謙信が激しく争った経緯もありませんが、しかし謙信は武田信玄と同じように、神格化に近い持ち上げられ方をしています。

 これはなぜかと言えば、武田家や北条家のライバルということもありますが、それ以上に謙信が「義将」として知られていたことが大きいでしょう。

 戦国の世においては、家臣が主君を、酷い場合は子が親を、下克上によって倒すことが横行していました。

 家康は太平の世を目指すにあたって、当時のそうした価値観を根本的にただす必要がありました。

 そこで儒教道徳を、統治理念として積極採用します。

 弱肉強食の世に逆戻りさせないよう、「忠義・秩序・上下関係」などを美徳として位置づけたのです。

 家康自身は、極めて現実的な合理主義者でしたが、統治に際しては、儒学者らの理想論を活用しています。

 武士に求められる資質を「戦って領土を奪い取る・戦功をあげて出世する」から、「主君に忠義を尽くす・秩序ある行政を行う」に転換するよう誘導したわけです。

 この流れを踏まえた場合、乱れた戦国の世において、「義」の象徴だった上杉謙信は、非常に都合がよかったのです。

 家康自身は戦国大名として天下を取ったのに、天下を取った後は「戦国大名のような人間が現れない社会」を目指したのですから、これは興味深い点と言えます。

かつての主君を立てる

 もう一つ、面白いのが今川氏真です。

 彼は長らく、今川家を滅亡に追いやった無能と描かれてきましたが、最近はその粘り強い外交努力を再評価する動きがあります。

 家康は今川家が滅亡した後、氏真を保護しました。

 元主君の嫡男として、処刑するどころか、旗本として厚遇しています。

 また、氏真は和歌や蹴鞠などの公家文化に詳しかったため、幕府の儀礼面で重宝されました。

 戦国時代の勝者が、かつての主君筋を保護して養っている。そればかりか親交まで深い。こうした見え方は、かなりドラマチックです。

 新しい社会の価値基準にしたい「忠義・秩序」にも適っていました。

 このような潮流は家康の没後も続き、5代将軍である徳川綱吉の治世で、ある種の極みを見せることになります。

 綱吉は儒教を重んじて、文治政治を行いました。彼が発令した「生類憐みの令」は、不殺が頂点に達した瞬間でした。

 主君を害するな、人間を〇すなという価値観が、動物にまで及んだのです。

 この法の賛否については意見が分かれますが、価値観の転換をよく示している点では重要と言えます。

 つい数十年前まで、血で血を洗っていた世の中が、動物さえ〇さない社会になったのです。なんという振り子の激しさでしょう。

敵の方が人気になる

 徳川史観のその後は、面白い逆転現象が起きました。

 敵が英雄になり過ぎて、現代人の多くが「徳川より敵の方が好き」になってしまったのです。

 人気投票をしたら、真田信繁(幸村)・武田信玄・上杉謙信あたりが、徳川家康より上位に来ることは珍しくありません。

 徳川四天王より、武田四天王の方が名前が出やすかったりします。

 徳川幕府は「敵を英雄にして自らの権威を高める」つもりだったのに、400年後には「敵の方が人気者になってしまった」というのは、いかにも日本らしい皮肉でしょう。

 最近は、何度でも立ち上がる最弱の大名、フェニックス・小田氏治が一部のマニアに支持されています。

 そういう異常さを、ふと冷静になって自覚した時、静かにニヤっとしてしまうのが、日本にいる「歴史好き」という人々です。

 歴史って最高のエンタメですね。

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