西郷隆盛の面白こぼれ話 (2) 優秀な行政官 固執しない

西郷隆盛 (2) ブログ

西郷どんの人物評

勝海舟
 俺は今まで、天下に怖ろしい者を二人見た。横井(小楠)と西郷だ。

坂本龍馬
 西郷という奴は、分からぬ奴だ。
 小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。馬鹿であれば大馬鹿で、利口であれば大変な利口だろう。

島津斉彬
 西郷は薩国第一の宝である。
 しかし、彼は独立の気性があるから、これを使いこなせる者は私の他にはいない。

 幕末の傑物たちは、西郷どんを高く評価しました。

 特に、薩摩藩主である島津斉彬は、西郷どんの実直な性格と、優れた実務能力を高く評価して、家柄にこだわることなく、側近グループの精忠組に抜擢しています。

 島津斉彬の慧眼は、西郷の美点だけではなく、欠点も含めた特徴をよく捉えていました。

 彼が言うところの「独立の気性」とは、自分の信念で動く、権威に媚びない、命令でも納得できなければ疑問を持つ、迎合しないなどの性格です。

 斉彬は西郷どんを宝と評価する一方、場合によっては、藩主である自分の命令にさえ従わない可能性があることを見抜いていました。

 また、「嘘をつかない・裏表がない・私利私欲がない」ことの裏返しなのか、「感情が深い・義理人情を重んじる・思い詰める面がある」という性格も理解していました。

 権力が通じにくいことから、権力者である斉彬は、「使いこなせる者は私の他にはいない」と述べたのでしょう。

 西郷どんのこうした特徴は、島津斉彬には理解され、愛されましたが、島津久光(斉彬の異母弟)には嫌われてしまいました。

 なお、部下からはこんな風に見えていたようです。

村田新八
 西郷先生をもって、豪胆なる武人だと世間は言う。薩摩人でさえ一様にそう見ている。
 しかし、ひとり自分はそうは思わない。この人は深智大略の人で、決して野戦攻城の武将ではない。

行政に向かない?

 西郷どんの人物評の中で、やや誤解を招きかねないものがあります。

 それは佐賀藩の俊才、江藤新平の言葉です。彼は「近代司法制度の父」と呼ばれ、新国家の制度設計に優れていました。

 江藤新平は、大事な印章を他人に預けてしまう西郷をして、官吏や行政には向かないと評しました。

 行政においては、次のような資質を求められます。

・法令を正確に運用する。
・書類を細かく確認する。
・予算を管理する。
・前例との整合性を考える。

 西郷どんは、困っている人を見ると「まぁ、助けてやれ」となりますし、予算や規則より「人としてどうか」を優先します。

 「小事にこだわるな。正しいことをすればよい」という姿勢なので、確かに行政には適さないかもしれません。

 大将としてドンとかまえ、いざという時に決断する。私たちには、そうしたイメージがありますし、実際にそうだったのでしょう。

 しかし、ここは厳密に見ていくと、少し様相が違って興味深かったりします。

 西郷どんは、細かい実務を理解できなかったのではなく、敢えて「気にしない」ように振舞っていた可能性が高いからです。

 なお、江藤は飽くまで西郷どんの一面を評しただけであり、指導者として一流であることは認めています。

優秀な地方行政官

 西郷どんは若い頃、薩摩藩で郡方書役助(こおりかたしょやくすけ)という役職に就いていました。

 年貢の計算・石高の管理・農村の調査・予算の管理などを行う仕事です。当然、そろばんは必須技能でした。

 数字が苦手だったわけではありません。むしろ、こうした仕事で成果をあげたからこそ、藩主・島津斉彬の目に留まったのです。

 西郷どんは、後に国家大計を考える人物になりますが、最初は「優秀な実務者」として頭角を現しました。

 彼は農民の生活や年貢制度、藩の財政なども詳細に調査しています。各地の農村を渡り歩いた、現場を知っている役人でした。

 西郷どんが作った優秀な報告書は、同時に彼の人柄(嘘をつかない・裏表がない・私利私欲がない)が表れており、その両方が斉彬の関心を誘ったのでしょう。

 数字に強いことと、蓄財や商売が好きなことは異なります。

 西郷どんは数字に強い一方、維新後は借金が絶えなかったと言われます。

 なぜなら、次のような特異な性質があったからです。

・部下の面倒を見る。
・頼まれると断れない。
・人にお金を貸す。
・返済を催促しない。

 周囲の人は「西郷先生は金勘定をしない」と述べたそうですが、西郷どんは能力がなかったのではなく、固執しなかったのです。

固執しないことの難しさ

 西郷どんは、自分の家計には無頓着だった一方、国家財政には強い関心を持っていました。

 軍備にどれだけ費用がかかるか、士族救済をどうするか、農民負担は重すぎないかなどを真剣に考えています。

 一方、帳簿を1円単位で管理する仕事は、官僚タイプの人間に任せていました。

 西郷どんは、若年期は優秀な地方行政官だったにも関わらず、大成してからは小事にこだわりませんでしたが、何かの分野に通じた方であれば、これがいかに難しいかが分かるでしょう。

 たとえば、会計士としてキャリアを積んだ人が、お金の管理を妻にすべて任せ、その使い方に一切口出ししないというのは、なかなかできることではありません。

 見えてしまうが故に、常人より気になるのが普通だからです。

 自分には見えている。その意味するところも理解している。しかし、口出しせずに信じて任せる。結果の責任はすべて自分が負う。

 こういうスタイルを通して、生活や命まで賭けてしまうのですから、やはり尋常ではありません。

亡羊を演じた

 従弟の大山巌(いわお)にも、似たようなエピソードが伝わっています。

 彼は砲兵畑の陸軍軍人で、砲術の裏表を知り抜いており、自ら大砲を設計できるだけの技量がありました。

 当時の砲兵は、弾道・測距・火薬・射撃理論・兵站など、高度な数学や工学を必要とする兵科です。大山は当然ながら、こうした理論に習熟していました。

 しかし、大山は専門家としての知識・技量を誇示することなく、敢えて亡羊(ぼうよう)な人物を演じました。

 普段はぼんやりとした態度で、周囲の人は「本当に話を聞いているのか」と疑いますが、いざという時は的確で鋭い発言をして、よく皆を驚かせたと言います。

 元々「口数が少ない・感情をあまり出さない・ゆっくり考える」などの特徴があるので、半分は素だったようですが、半分は「周囲に見せていた」のでしょう。

 彼は来たる日露戦争において、こんな言葉を残しています。

・戦の細かことは、すべて児玉(源太郎)どんに任せます。しかし負け戦になった時は、おいが陣頭で指揮を執ります。
・勝っている時に、おいは必要ない。
・児玉どんが必ず善処してくれるけん、おいはじっと待つのが仕事じゃわい。

 西郷どんや大山巌に見られる薩摩型のリーダーシップは、幕末から近代にかけて、何度か奇跡を起こすことになります。

珍しい組み合わせ

 西郷どんの面白さは、次のようなあまり見かけない組み合わせにあると言えます。

・英雄なのに、偉ぶらない。
・数字に強いのに、お金に無頓着。
・維新の三傑なのに、生活が豊かではない。
・軍人なのに、犬好き。
・歴史的な人物なのに、はっきりした肖像がない。

 一つでも珍しいのに、こうした不思議な結合が幾つも見られるのです。

 歴史上の偉人と言った場合、「能力は高いけれども、近寄りがたい」というイメージになりがちです。

 しかし、西郷どんの場合は、近所にいたら皆から慕われそうな、豪快なおじさんという印象を残しています。

 こうした点が、今なお高い人気を誇る一因なのかもしれません。

 つづく。

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