今日一日、怒らず、恐れず、悲しまず、正直、親切、愉快に生きよう。
絶対に、消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は、口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、もう自分の言葉の中にはないんだ、と考えるぐらいの厳格さを、持っていなければ駄目なんですよ。
誰にでも幸せになる資格があり、誰にでも幸せに生きる権利がある。
幸福や幸運ってのは、積極的な心もちの人が好きなんですよ。
まずは人間を創れ、魂を磨け。そうすれば、幸福は向こうからやって来る。
信念、それは人生を動かす羅針盤のごとき、尊いものである。
鉛は鉛、金は金。鉛に金メッキして、俺は金だというような顔をしなさんな。
強情っぱりと意志の力は、ぜんぜん違うんだよ。乱暴と勇気が違うようにね。
今日一日を過ごす時は、お互いを勇気づける言葉、喜びを分かち合う言葉、聞いて嬉しくなる言葉を言い合おうじゃないか。
悲しいこと、辛いこと、そのほか良くない出来事があったら、努めて「笑う」ようにしてごらん。
人生は生かされてるんじゃない。「生きる人生」でなきゃいけません。
二度と生まれることのできない、この人生の一瞬一瞬は、自分というものが、いつも完全な主人公でなきゃいけないんだ。

苦労したり、悩んだり、人を憎んだり、恐れたり、悲しんでる時、気持ちいいですか。あんな嫌な気持ちはない。その嫌な気持ちを、なぜ心にさせるんだ。喜ばせてやりなされ。
どこまでもまず、人間を創りなさい。それから後が経営であり、事業なんです。
人の落ち度は、許すより忘れてしまいなさい。
鏡に曇りがあれば、物は完全に映らない。
運命に対しても、健康に対しても、あくまで自分に、絶対の責任がある。
自分が心配したり、怖れたりしている時は「いや、これは俺の心の本当の思い方、考え方じゃない」と気付きなさい。
習慣づけなさい。習慣は第二の天性。
他人に好かれたいなら、何よりも自分が、あまり好き嫌いのないようにすることです。
たとえ身に病があっても、心までは病ますまい。たとえ運命が上手くいかなくても、心までは悩ますまい。
笑っている時、人間は最も強い。
偉くなる人とそうならない人と、なぜ差が出て来るかっていうと、同じ話を聴いても、聴き方、受け取り方が、全然違うからなんですよ。受け取ったことを、自分の人生にどう応用していくかということの差なんです。
経営者が何か新しい仕事をする時に、よく私のところへ相談に来るんです。私の答えはいつも簡単です。「他人に相談しなきゃ分からないことを、今後のあなたの人生の事業にすることは、非常に軽率じゃないですか」って。

良い運命の主人公として生きて行きたいなら、何を置いてもまず、心を積極的にすること。
原因と結果は、常に相等しき一線の上にある。
人生の果実は、その人が蒔いた種の通りに表れる。
消極的なことが心に浮かんでも、相手にしないこと。冷遇しなさい。優遇する必要はない。
「恵まれた時より、恵んだ時の方が喜びが大きい」という言葉がありますが、あなた方はどちらが嬉しいですか?
今より良い人生を生きたいと真に願うのなら、人間には何の価値もないなんて考え方は、自分の中から切り捨てなければならない。
人が人として生きていくのに、一番大切なのは、頭の良し悪しではなく、心の良し悪しです。
船に乗っても、波が出やしないか、嵐になりゃしないか、それともこの船が沈みやしないかと、船のことばかり考えていたら、船旅の愉快さは、何もなかろうじゃないか。人生もまた然りだよ。
持たなくてもいい重い荷物を、誰に頼まれもしないのに、一生懸命ぶら下げてやしませんか。
感謝に値するものが、ないんじゃない。感謝に値するものに、気が付いていないんだ。
一度限りの人生だ。今この時だけを考えなさい。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは、宗教に任せればいい。
憎い人があろうはずがない。あなた方が何か、憎らしいことを考えているだけです。

数ある同僚の中から、抜きんでて偉くなる人は、結局偉くなる資格を持っているんです。その資格とは「誰に言われなくても毎日、実際に努力している」ことなんです。
常に善良な言葉、人を勇気づける言葉、人に喜びを与える言葉、そういう言葉だけを使っている人は、自分では思っていなくても、人に幸福を分けているんだよ。
どんな場合にも、困った、弱った、情けない、腹が立つ、助けてくれ、なんていう消極的な言葉を、絶対に口にしないことです。
言葉には、人生を左右する力があるんです。この自覚こそが、人生を勝利に導く、最良の武器なんですよ。
土台のことを考えないで、家の構造ばかり考えたって、その家は住むに耐えない家になっちまう。
人生もまた然りであります。「俺は運が悪いなぁ」と思わず、「何か俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いがあったのを、こういう結果になって、天が教えてくれたんだなぁ」と考えなさい。
とにかく、自己向上という意欲を、自分の心に燃やさないで、そういう希望や理想を、持たないで生きてる人は、いいかい、自分自身の人生と存在を、極めて軽く見ている人だぜ。
やれ運命がつまらないだの、人生がつまらないだのって人は、その考え方がつまらないんです。いいですか、幸福も健康も成功も、他にあるんじゃないですぜ。あなた方自身の中にあるんだよ。
あなた方が現在、何か人生に苦労を感ずるものがあるなら、それをただ苦しい、情けないと思うよりも、仔細にそれを検討なさい。
心を、己の生命が生きるための道具として使わないで、反対に、心に使われているがための結果なんですよ、どんな心配であろうと。

あなたの頭の中に、何が描かれているかを当ててみようか? それはあなたが失敗して、しょんぼりしている哀れな姿だろう。そんな絵は消してしまいな!あなたが、堂々と相手を説得して、大成功している場面を描くんだよ。そうすれば、仕事もきっと上手くいく。
終始一貫、勇気勇気で押し切るんだ。
力を入れることに重点を置かず、力を働かすことに重点を置きなされ。
人が作った衛星が、宇宙を飛んでる時代に、縁起がどうだの、日の良し悪しや占いがどうだの、みんな自分自身に、消極的な暗示を掛けているんですよ。
百歩譲って、いくら磨いても、玉にならないとしてもだよ。磨かない玉よりは良くなるぜ。ここいらが非常に、味のあるところじゃねえか。
事業をしている人、その心に信念がありますか。私が事業家にいいたいのは、ここだ。宇宙の真理に背いた、自分本位の欲望でしようとしたことは、滅多に成功するものではない。
欲望から離れて考えた時に、また、その考えを実行する時に、事業が成功するんです。同じ事業家でも、欲の固まりでやる者と、「この仕事で、世の中の人のために、本当に役立つものを提供しよう」という気持ちでやるのでは、その結果が全然違うんですよ。
人生ってのは、そこに進歩と向上があってこそ、生きがいを感じ、勉強もし、努力もするもんだぜ。
境遇や環境が、自分を偉くしたり、幸福にしたりすることはない。

自分が自分を磨かない限り、自分というものが、本当に偉くなることはない。
明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くはない。
生きていることを楽しもうぜ。そうすりゃ、治る病なら黙っていても治る。治らない病は、どう思ったって治らないんだから、その時はしょうがないじゃねえか。
人生、あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けな、光が差して来るぜ。
人が、「人の世のため」を本位として生きる時、その心の中に、卑しい不平不満の火は燃えない。
自分の気に入ったものだけを可愛がって、気に入らないものは可愛がらない。そういうのは、本当の愛情じゃないんだぜ。太陽のように、あれこれと選ばないで、普遍的な気持ちで愛さなければ駄目なんだよ。
凡人は敵対し、優れし人は和合する。喧嘩することより、仲良くすることを、まず考えなきゃ駄目ですよ。
怒る者より、怒られる者の方が気は楽だって。反対に言えば、怒られる者より、怒る者の方が苦しいんですよ。
他人の喜ぶような言葉や行いを、自分の人生の楽しみとする、という尊い気分になって、生きてごらん、今日から。
終始一貫、笑顔で通すようにしてごらん。不運な人、体の弱い人は、ひとしお笑いに努力するんだ。笑うにつれて、人生の幸福と幸運が、どんどん開けてくるからね。
誰がなんと言おうが、本人が「有り難い、幸福だ」と思っていたら、不幸はありえない。だから幸福は、心が生み出す極めて主観的なものなんです。
欲しいものが手に入らないなら、いま自分が持っているものを、嬉しいと思うように考えればいいんです。
いかなる名医や名薬といえど、「楽しい」「面白い」「嬉しい」に勝る効果は、絶対にない。
欲望を無くそうとする欲こそ、最も大きい欲だということに、なぜ気づかんのか。
欲は、すべての進化と向上の源泉である。欲を押さえつける必要など少しもない。求めれば求めるほど愉快になり、楽しくなるのが本当の欲である。
人の喜びが自分の楽しみとなるものが、最も尊い。この尊い欲の炎を、もっともっと燃やすことだ。
哲学的に考えると、科学的な考え方が疎かになるし、科学的に考えると、哲学的な考え方が疎かになる。
模倣も、極みに至れば真実と同じ。善いことは極力、模倣に専念すべきである。



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