蟻かキリギリスか、それが問題だ

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キリギリスは悪いのか?

 「蟻とキリギリス」は、イソップ寓話の代表的な物語です。誰しも子供の頃に、親や教師から聞かされたことでしょう。

 ある夏の日に、冬の食べ物を蓄えようと働く蟻と、歌って夏を楽しむキリギリスの話です。

 結果はご存知の通りで、いざ厳しい冬が到来した時、夏に遊んでいたキリギリスは、食べ物がなくて困り果てました。

 その後のキリギリスは、版によって異なりますが、当初の版では死んでしまうか、または死を強く示唆する終わり方をしていました。

 「本当は怖いイソップ寓話」などと言いますが、蟻の台詞は辛辣です。

 夏に歌って過ごしたなら、冬は踊っていればいいじゃないか。こう言って一切、食べ物を分け与えません。これが欧米社会の現実なのでしょう。

 最近はリベラルの風潮に毒されてか、蟻がキリギリスを助けるエンドもあるようです。

 ともあれ、この物語の教訓は、「将来必要になるものを、余裕のある間に準備しておきなさい」です。

 この価値観は、日本人の国民性によく合うこともあって、違和感なく受け入れられています。

 日本の格言で言えば、「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」などが、この寓話に相当するでしょう。

 米国であれば、Make hay while the sun shines(干し草は太陽が照っている間に作れ)、中国であれば、未雨綢繆(雨が降る前に、戸や窓を修繕しておけ)など、各国において似たような言い回しがあります。

 蟻は正しく、キリギリスは間違っている。子供の私は単純にそう理解して、そのまま疑うことはありませんでした。

常夏の国に冬は来ない

 冬が来るなら蟻は正しい。しかし、冬が来ないならキリギリスが正しい。そして、常夏の国に冬は来ない。

 こんなことを言われた時、私は愕然としました。盛って話しているのではなく、本当に口を開けて呆然としました。中くらいの稲妻に打たれた感じです。

 別にキリギリスが正しいとは思いません。しかし、それまでの固定観念が綺麗に崩れました。

 蟻とキリギリスの寓話は、冬が来ることを前提にしています。「冬が来なかったら?」という条件を、私は想像もしなかったのです。

 親や教師の言いつけをよく聞き、真面目に生きてきた人は、どこかのタイミングでキリギリスが輝いて見える時が来るかもしれません。

 私の場合、それは30歳前後で東南アジアの国を訪れた時でした。

 そこでは常識がだいぶ異なり、社会のリズム自体が緩やかで、日本でこだわっていた悩みが、下らないことのように思えてきました。

 折りしも、その頃は長時間勤務に疲れており、いつまでこの生活が続くのかと、気が滅入っていた時期です。

 当時はブラック企業という言葉はなく、働き方改革なども勿論なく、有り難いことに週休2日ではありましたが、しかし2日休めることは稀でした。

 子供の頃から習い事と塾通い。学生時代は部活と受験に明け暮れて、働き始めたらプライベートなどあってないようなもの。

 私はそこそこ優秀な蟻でしたが、正直に言って、あまり幸せではありませんでした。当時は「今が苦しくても、将来のためになる」と考えて耐えていました。

 日本人は勤勉ですから、似たような人は結構多いのではないでしょうか。

 そのようなスタンスは、おそらく基本的には正しいのでしょう。実際、現在の自分があるのは、若い頃にハードワークしたおかげです。

 しかし、蟻の人生一辺倒では、健康や幸福を損ないかねません。私も一度はそれらを壊しかけました。

蟻は「厳しい冬」に賭けている

 蟻として生きることは、「厳しい冬が来ることに賭けている」という面があります。

 冬が来なかったり、来たとしても予想より遥かに軽いものだった場合、大いなる無駄で終わってしまう恐れがあるのです。

 優秀な蟻になれる人間は、一事が万事で、他のことにもよく準備して、真っ当に取り組みます。

 そういう生き方ができる人は、様々なリスクを抑えることができますので、深刻な冬が来ない可能性は高いと言えます。

 最悪なのは、現役時代は稼ぐことと貯金に明け暮れて、老後は相続税の心配をすることです。

 私の父は、まさにこのパターンでした。

 銀行員として勤め上げ、家族を守ってくれた父は、果たして自分は幸せだったのだろうかと、今でも疑問に思うことがあります。

 彼は70代で認知症になってしまい、自分がどの銀行の口座を持っているかすら、よく分からなくなりました。

 当然、金額などは覚えていません。何のために必死に貯めたんだ、という話です。

 彼は優秀な蟻であり、社会的には立派でしたが、個人的に幸せだったのかは、微妙と言わざるを得ません。

 悠々自適なはずの老後に、相続や不動産などの心配事が重なり、不眠症に悩んでいました。

 そして、それが認知症の一因にもなりました。これでは本末転倒ではないでしょうか。

 父にはキリギリスの要素がまったくなく、人生を楽しんでいるようには、少なくとも私には見えませんでした。

 若年・中年の頃から、意識して練習しておかないと、高年になってから「急にやれ」と言われても難しいのでしょう。

 私たちはお金を使う練習、人生を楽しむ練習を、早い段階からしておく必要があります。

 意外に盲点かもしれませんが、社会的に立派であることと、個人的に幸せであることは別です。

 前者ばかりを見ていると、気づいた時にはドツボにハマっている可能性があります。

 備えることは重要ですが、備え過ぎると逆に負担になります。私は父の介護をする中で、こうしたことが身に染みました。

キリギリスになる練習

 冬は厄介に思えますが、一方で北国の特権とも言えます。

 冬があるからこそ、その国(または地域)の住民は、計画的に備えることを学び、発展することができました。

 冬がない常夏の国は、一見うらやましく思えますが、少し長い目で見ると、実は大きく損をしていたりします。

 したがって、日本に生まれた幸運な私たちは、基本的には蟻でよいと思いますが、そこに意識してキリギリスの要素を入れていくことをお勧めします。

 しかし、これは言うは易しで、実際はなかなか難しい面があります。

 子供の頃から「貯金しろ、貯金しろ」と呪文のように言われて育ったのに、社会人になった途端、やれ投資だの、NISAだの言われるようなもので、意識改革にはそれなりの抵抗を覚えます。

 蟻の価値観を叩きこまれて育ったことは、ひとつの財産ですから、それ自体は素晴らしいことであり、何の問題もありません。

 重要なのは、蟻として結果を出し始めた頃、キリギリスの要素を徐々に取り入れていくことです。

 これまで避けていたもの、更に言えば矛盾するかのような価値観を、積極的に受け入れるのですから、決して簡単なことではありません。

 意識して、練習して、少しずつ覚えていくことになります。

 「なんで、そんなことをしないといけないんだ!」と思うかもしれませんが、ここに無頓着なまま蟻の人生を続けると、必死に蓄えたものがいつしか負担に化けたり、そうならないまでも、老後に虚しく感じる恐れがあります。

 死ぬ前に後悔することの第1位は、「あんなに働くんじゃなかった」です。これを軽視してはいけません。

ジャンプ力は落ちていく

 人生の楽しみを老後に取っておくという発想は、どうやらやめた方がよいようです。

 なぜなら、加齢とともに、できることが明らかに減っていくからです。

 30~50代の働き盛りでも、若い頃に比べて行動力や欲望が衰えた、と感じている方が大半でしょう。これが60代以降になると加速します。

 認知機能・身体機能・性機能など、すべてが徐々に落ちていきます。

 若い頃にやりたかったことが、年を取ってから実際にできるか、関心を維持できているかは、十分疑った方がよいと思います。

 異性に対する興味すら、徐々に薄れてくるのですから、他は推して知るべしでしょう。

 キリギリスのジャンプ力は、思う以上に落ちていきます。飛べる間に飛んでください。

 我慢して我慢して、ようやくその時が到来したと思ったら、今度は当時ほどの関心がなくなっていた、あるいは病気で思うように動けなくなった、などということは普通にあり得るのです。

 個人差はありますが、老後の生活資金は、若年・中年の頃に比べると、6~7割に減ると言われます。人によっては、もっと減るかもしれません。

 これは行動力や欲望が衰えることが一因です。10割評価で老後資金を貯めると、だいぶ余らせる可能性があります。

 準備ばかりの人生では、いつ幸福を収穫するというのでしょうか。

 言い古された言葉ですが、その時とは「今」です。年を取るほどにこれを痛感します。今できることが、10年後にできる保証はありません。

 自戒を込めてですが、私のように「冬が来たらどうしよう」と発想しがちな人は、時々「じゃあ、冬が来なかったら?」と考える癖を付けると、バランスが取れてよいと思います。

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